
さて前回からの続きを。
日常的にいる環境は職場であれ、生活であれ
長い目で見るとやはり影響が大きい。
それもあり自分は自然の環境を求めていたのだろう。
以前住んでいたマンションに引っ越したのは
がん治療をひとまず終えた後で
(投薬や手術後の影響はまだ残っていた)
心身が敏感になり、環境の影響を受けやすい時期だった。
隣は神社で木立があり、その向こうに建つ団地の眺めを遮ってくれ
(ただし冬は葉が落ちて丸見えになったけれども)
春は鳥のさえずりがにぎやかで
降り注ぐ陽射しを浴びつつ身体の底からほっとしていたことを思い出す。
しかし自室は生活の場と仕事場を兼ねていたので
ほっとする感じは年々薄れていった。
特に飼い猫が他界してからは。
長い目で見るとやはり影響が大きい。
それもあり自分は自然の環境を求めていたのだろう。
以前住んでいたマンションに引っ越したのは
がん治療をひとまず終えた後で
(投薬や手術後の影響はまだ残っていた)
心身が敏感になり、環境の影響を受けやすい時期だった。
隣は神社で木立があり、その向こうに建つ団地の眺めを遮ってくれ
(ただし冬は葉が落ちて丸見えになったけれども)
春は鳥のさえずりがにぎやかで
降り注ぐ陽射しを浴びつつ身体の底からほっとしていたことを思い出す。
しかし自室は生活の場と仕事場を兼ねていたので
ほっとする感じは年々薄れていった。
特に飼い猫が他界してからは。
長年主軸としてきたグループワークは
予測できない様々なエネルギーの交錯する場であり
ことに術後の身体には大きく響くことも体感したので
それを自然の中で抜くことが茅野諏訪を訪れる目的にもなって行った。
予測できない様々なエネルギーの交錯する場であり
ことに術後の身体には大きく響くことも体感したので
それを自然の中で抜くことが茅野諏訪を訪れる目的にもなって行った。
この30年弱、
目の前にいる誰かのために、という働きにかなりのエネルギーを使ってきた。
もちろん嫌ではなかったし自分で決めてやったことである。
そして昨年秋を境にグループワークから一旦離れてみて
「何の役にも立っていないで、社会とも関わりを持たずに
生きていていいのか?」という気持ちが浮上してきた。
以前勤務していたクリニックのDr.とも話したが
常に誰かのためにという『職業的無意識』が(医療職には)
本当に根深く入り込んでいて
(加えて自分が育った環境は診療所と自宅の境がドア一枚という
医者の家だったので、子供の頃から日常生活の中に医療が混在していた)
よっぽど意識しないと変な罪悪感にやられるな、と思った。
支援、援助をしている方たちが
自分のWSには結構いらしており
「人のエネルギーから距離をとるには自然の中が一番いい」と伝えていたが
現場から離れてから
上記の概念がこんなにも自分の中に染みついていたのか、
と改めて気づくのだった。
ここに引っ越してきたのは
そういう自分に区切りをつけるための
強制的な方法でもあり、
人ではなく自然のエネルギーを生活の中で大切にすること、
孤独というものを底から体験するためだったかもしれない。
目の前にいる誰かのために、という働きにかなりのエネルギーを使ってきた。
もちろん嫌ではなかったし自分で決めてやったことである。
そして昨年秋を境にグループワークから一旦離れてみて
「何の役にも立っていないで、社会とも関わりを持たずに
生きていていいのか?」という気持ちが浮上してきた。
以前勤務していたクリニックのDr.とも話したが
常に誰かのためにという『職業的無意識』が(医療職には)
本当に根深く入り込んでいて
(加えて自分が育った環境は診療所と自宅の境がドア一枚という
医者の家だったので、子供の頃から日常生活の中に医療が混在していた)
よっぽど意識しないと変な罪悪感にやられるな、と思った。
支援、援助をしている方たちが
自分のWSには結構いらしており
「人のエネルギーから距離をとるには自然の中が一番いい」と伝えていたが
現場から離れてから
上記の概念がこんなにも自分の中に染みついていたのか、
と改めて気づくのだった。
ここに引っ越してきたのは
そういう自分に区切りをつけるための
強制的な方法でもあり、
人ではなく自然のエネルギーを生活の中で大切にすること、
孤独というものを底から体験するためだったかもしれない。
(全く仕事を辞めたわけではありませんが)
加えて新自由主義の風潮が
社会の息苦しさにに拍車をかけている気がする。
かなりしんどいところまで追い込まれている人も多いのでは?
キャリアアップしないとだめ、という社会になってきているのが
一番問題なのだが。
「役に立たないといけない感」は
しょっちゅうではないが時々出てくるのでそれもただ観察している。
これは世の中で結構多くの人が感じているのではと思う。
これは世の中で結構多くの人が感じているのではと思う。
そうではないと生きていてはいけない、というのは
案外色々な人の中にある。
案外色々な人の中にある。
みなさんいかがですか?
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