指輪ホテルで列車公演を行った 小湊鉄道が、駅前のアスファルトをはがし 養老渓谷までの道を森に戻すという取り組み。すごい・・!! business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16…
— マナ (@mana_ephiora) 2017年6月1日 - 08:11
トンネルの中で停車したり、風景シーンをみせるために徐行したり・・劇演出にあわせた運転は最初はたいへんだった、と運転士さんたち。追いかけっこした軌道バイクも、運転は小湊鉄道のベテランさんによるもの!ほんとうにお世話になりました pic.twitter.com/YTOxQCD7Ca
— マナ (@mana_ephiora) 2017年6月1日 - 08:29
それは踊りきった地平の果てに、
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月1日 - 09:51
ただただ投げ出して
全てを投げ出して
その向こうにしか見えないもの。
そこに辿り着かなければわからないもの。
「透明なベニヤ板」が誕生、窓にもソーラーパネルにもなる|WIRED.jp〈アーカイヴ記事〉 wired.jp/2016/04/01/tra…
— WIRED.jp (@wired_jp) 2017年6月1日 - 14:45
不自由だからこそ踊るのだ。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月1日 - 18:54
足で大地を感じ、立つことの精妙さを味わい、呼吸の大きな波を感じる。それが日常の中でできるようになれば、心のありようも変わってくるのだと思います。そのきっかけになる場です。ぜひお越しください。 twitter.com/body_wisdom/st…
— あにぃ (@animanma) 2017年6月1日 - 00:34
NHK Eテレの『てれび絵本』で「水木しげるの妖怪えほん」が放送決定。全5話で第1話が6月9日(金)午前8時50分から放送されます。語りは佐野史郎。登場するのは「あかなめ」他 amass.jp/89551/
— amass (@amass_jp) 2017年6月1日 - 18:27
先ぶれがもう関西に行ってるみたいだけども…
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月1日 - 22:25
@animanma 明日明後日が推して知るべしですな。怖い…
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月1日 - 22:33
マインドフルネスはもともと仏教Basedだったのでは…
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月1日 - 22:41
『ボブ・ディラン 我が道は変わる~1961-1965 フォークの時代~』6/3(土)~横浜シネマリンで公開!
— 横浜シネマリン (@ycinemarine) 2017年5月12日 - 00:47
ディランを学ぶ!稀代の名曲「風に吹かれて」「時代は変わる」は如何にしてうまれたのか?進化し続ける孤高の吟遊詩人ボブ・ディ… twitter.com/i/web/status/8…
「カラダは『無数の虚偽』に取り囲まれている限り生き生きとしており、真実だけに取り囲まれているとするならば、次第に水を与えられない植物のように萎えてしまうでしょう。子供には無数の遊び道具が必要です。銀行ごっこや電車ごっこや何々ごっこという無数の『ごっこ遊び』が必要なのです。」(続
— susuharai (@susuharai) 2017年6月1日 - 23:04
承前)私のカラダは『皆既日食のように光っている闇であり、花のように軽やかな岩塊で、空気のようにやわらかいダイヤモンド』、そのように『想う』ことができれば、それが人間のカラダになるのです。(続
— susuharai (@susuharai) 2017年6月1日 - 23:16
「自分の本当の姿を見たことのないのが、人間でしょう。他人の顔は見えますが、自分の顔を見た人はいません。ダンサーというのは自分の本当の姿、カラダを見たことのないものが、人の前で動いてみせるという芸当をやってのけるのです。分って踊っているのではなく、『分らないから』踊っているのです。
— susuharai (@susuharai) 2017年6月1日 - 23:10
承前)また観客は、それを承知の上で見てくれるのです。そしてダンサーにとって見ることができないのは、カラダだけではなく、そのカラダを通して作り出している『動き』と『形』も見えないのです。こんな訳の分らないもので人様の前に『立つ』方法と言えば、『想う』ことしかありません。(続
— susuharai (@susuharai) 2017年6月1日 - 23:13
「子供においては、妄想とイメージのみが真実になり得るのです。人間はカラダの中に、無数の虚偽を培養し続ける必要があります。虚偽が生きている限り、そのカラダは生命力に満ちています。」笠井叡『カラダという書物』
— susuharai (@susuharai) 2017年6月1日 - 23:07
身体と身体との間には、暗黒が満たされており、そこには言語が飛びかっている。また、言語を(たとえ暗黙にであれ)随伴する身体の挙動が、行為である。ゆえに、言語の具体的なあり方を考察することなしに、社会を理解することはできないのである。 -橋爪大三郎『身体論』
— 社会学・哲学・文学等私的名言bot (@siteki_meigen) 2017年6月1日 - 23:22
身体と自然の猛威が飛び交っている本日。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年6月1日 - 23:23
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