
今から65年くらい前、「芸術新潮」という雑誌に岡部伊都子さんという方のお寺めぐりの連載があったそうです。やがて単行本も出る、文庫本は1975年に出たということでした。ああ、そんなころなのかと私なんかは思いますけど、若い人にははるかな昔ということになるでしょうね。
六甲の裏手の、有馬温泉に行く途中くらいに無動寺というお寺があって、そこには素敵な十一面観音さまがいらっしゃったということでした。
たまたまその途中で新兵衛石というのを見つけたのだそうです。
立ちどまって碑文をよむと、それは15歳の少年の記念碑だった。ひどい旱害にあえぎ苦しむ百姓にかわって、領主に対して駕訴(かごそ)に及んだ村上新兵衛。そんな方法でしか下情が上達できなかった封建時代の人々の心が、哀れに悲しく思える。
駕訴とは、苦しまぎれの手立てということですから、やむにやまれず訴え出たということでしょうか。大人たちや長老ではなくて、少年が願い出た、そういうこともあったりしたでしょうか。
当然、願いは聞き入れられたかもしれないけど、ひとり出しゃばった罪をかぶって新兵衛少年は処刑されたのでしょうね。だから、彼をおまつりする石碑が立った。
ここしばらくの間に、急激に流れを転じた今の世の渦も、やはりおそろしい情意の断絶といえるであろう。自由に話し合えない、理解し合おうとしない、相手の立場に立って考えようとしない、民の苦しみを苦しみと感じない心には、むざんがむざんでなくなってくる。民主主義よ、あなたはいったいどこへゆくの。
岡部さんは何を言おうとしているのでしょう。
岡部さんは、エッセイの中で、仏様たちに向き合い、そこに当時の人々の気持ちをくみながら、現代に還元させようという強い熱意で書いておられる。
ただのお寺参りなのに、沿道にはいろんな人々の記念碑が自然とできてしまう。それらを見て、昔も今も為政者はそんなに変わってなくて、基本は為政者たちの都合を優先させてしまう。民主的に選んだという形であっても、選ばれた人たちは簡単に特権的な立場になり、すぐに人の気持ちなんか消し去ってしまう。かくして、人々は何とかしてくれとお願いするしかない立場に貶められてしまう。いつも断絶があるわけですね。それを飛び越えた人たちは、忘れられないように心に留め置かれた、ということなのかな。