去年の秋、ピーチ航空に乗って新千歳に行き、そこから千歳市、小樽市、余市町、倶知安、長万部、東室蘭、苫小牧とグルッと函館本線・室蘭本線で一周する旅をしました。誰とも話をする機会はなかったけれど、私としては楽しい旅でした。 函館本線がなくなるというから、それに乗っておきたかったんです。たぶん、新幹線が通ったら、長万部から倶知安、余市、小樽を通る鉄道は廃止されるでしょう。もう私たちの力ではどうしようも . . . 本文を読む
宮沢賢治さんよりも三十年以上早くアントン・チェーホフさんはサハリン島へ来ていました。 目的は何だったのか、それはわかりませんが、帰ってきてからその時に感じたことをまとめていて、日本では1953年に岩波文庫で『サハリン島』の2冊が出たようです。2009年に第8刷が出て、それを私は買っています。もちろん、買っただけで、もう10年以上放置しています。あいかわらずムダなことばかりしている。もうずっとそん . . . 本文を読む
終夜が波の響きと風の音と、それに雑多の――それは帆柱に降る、船室の屋根の上甲板に降る、吊りボートに降る、下の甲板に降る、通風筒に吹きつける、欄干(てすり)に降る、――雨の音であった。船の揺れはますます激しく、私のいわゆる王様のベッドの洋銀の欄干、網棚、カーテンの鐶(かん 金具のこと?)などは、しっきりなく音を立てて鳴った。 白秋さんは1925年に東京から樺太に向かう観光船に乗っていました。小樽で . . . 本文を読む
夏、お盆の前になると、岩手の奥さんの実家に行っていました。コロナのシーズン(2020~2022くらい)と震災の直後(2011~2012)以外は行っていたような気がするけど、そんなに毎年というのでもなかったかもしれません。 とりあえず去年は、新幹線で行き、泊まるところが予約取り消しをされていて、仕方なく(私のワガママで?)ひとりで青森のねぶたを見に行き、初めてねぶたを見ることができて、幸せでした。 . . . 本文を読む
時代小説の作家世界の先輩、子母澤寛さんのことを司馬遼太郎さんはこんなふうに書いておられました。 両親の縁がうすく、生後ほどなく祖父十次郎、祖母スナにひきとられた。祖父十次郎は厚田村で角鉄(かどてつ)という旅籠屋を営んでいた。「猫可愛がりというのでしょう」 子母澤間さんに近づきを得たのは昭和三十六、七年ごろで、当時、私は新選組のことを調べていた。 そして、どうしても子母澤寛さんの本をあれこれ使わせ . . . 本文を読む
本そのものは文庫本で1992年に買いました(単行本はなるべく買わないようにしています)。その年の夏に私は北海道に行きました。札幌から新十津川、富良野、十勝岳温泉、戻ってきて札幌の発寒と、普通は行かないコースを研修させてもらう旅でした。コースは少し違うけど、司馬遼太郎さんと一緒に歩くような感じで、旅が終わってから本は読みました。 私の旅と司馬さんの旅は、かなり違うんですけど、自分が見てきたところを . . . 本文を読む
名古屋から金沢まで、特急しらさぎは走っています。でも、これもあと少しで終わってしまいます。すべて敦賀で止められて、そこから先は新幹線に乗り替えなきゃいけない。 どうしてこう私たちの社会って、すべてを新しいものに切り替えなきゃいけないんだろう。 新幹線が敦賀まで来たとしても、一部の特急は金沢まで走れるように運用すればいいのに、それを許さなくて、金沢から敦賀までの北陸本線は第三セクターで地元移管にさ . . . 本文を読む
二月も半分過ぎたようなものでした。あと二日もすればバレンタインとかで、全く私には関係ないけど、でもまあ、半分はもう終わったようなものです。 半年前、私は青森でねぶたが始まりだした夜の初めくらいのところまで経験しました。みなさんが跳びはねているのは見られませんでした。それでも、その空気は味わえました。本当なら、夜遅くまで見られたらよかった。そういう工夫ができてませんでした。 跳びはねる人も、そうで . . . 本文を読む
震災の年、2011年の春からスタートしたNHK-BSの「こころ旅」という番組があります。その時、最初から日本海まわりで京都から北海道まで自転車で行くという企画だったみたいで、たまたま太平洋側を通らないことになっていました。 そして、3.11があって、正平さんたちは京都から福井、石川、富山、新潟、山形、青森、最後に北海道まで自転車で走っていったそうです。その時、私は何も知らなくて、そもそも19時に . . . 本文を読む
もう一ヶ月以上前、北海道を旅していました。余市駅にも降り立ちました。たぶん、「余市駅を存続する会」というツイッターに誘われたのだと思います。 函館本線は風前のともし火で、長万部から小樽までは廃止されるという話でした。だから、それまでに一度乗っておこうと、わざわざ出かけたんでした。別に知り合いがいるわけでもないし、余市のニッカの工場の予約ができたわけでもなかった。予約はすでにいっぱいだったのです。 . . . 本文を読む
前日の雨がやっと上がる。坂の途中のお宿を早く出て、駅まで30分ほどと教わったけれど、せっかく晴れてくれたのだから、昨日は傘さして歩いたけれど、傘を差さないで、駅の方角に向かってみよう。 そう思ったんでした。お宿はなかなかおもしろいところでした。オーナーの方が、私が歩いていくよ、というとこっちの坂道を降りていって、突き当たったところを右に行けば駅だよ、と見送ってくれました。友人宅に泊まった朝のよう . . . 本文を読む
10/22・日曜日、くもり 小樽から余市、倶知安、長万部という函館本線、通称「山線」の移動をしました。一番の楽しみは羊蹄山に出会うということでした。 一度、かすかに見たような感覚はありますが、あまりに遠くて、実体がない感じでもありました。それは、伊勢の二見が浦から冬に富士山が夜明けの空の下に浮かぶというのと同じで、確かにそれは富士山なんだけど、富士山と一緒の連帯感なんてないのです。 いや、山に連 . . . 本文を読む
(予想通り、地球岬までは言及できてなくて、途中で終わっています。またチャレンジしようという魂胆というか、いつもの事情というか、無計画に立ち上げるから、そんなことになってしまう。でもまあ気持ちです。) 北海道をフラフラしていたのは、もう二週間前になります。確かにそれくらい前だという気もするし、いやいやついこの間のことだ、という気もする。 どっちにしろ、これだという何かをつかめたわけではありません。昨 . . . 本文を読む
今さらこんなことを書いても、それはどうにもならないけれど、サケたちは、寒い北の海で三、四年を過ごして、大きくなって、再び子孫たちを自分たちと同じ旅をさせようと、石狩湾に戻ってきて、自分たちのふるさとの川の流れ・香りを求めてずっと遡り、石狩川、そしてその支流の千歳川と海からも70kmを旅してきたということでした。 私がサケたちを見たのは、10月の21日の朝で、水族館の人の話によると、今日は遡上のピ . . . 本文を読む
(海の手前に鳥取砂丘が見えました。海沿いに鳥取空港があり、大きな湖は湖山池というところでしたか。こんなところを飛ぶのだと、少しビックリしました。そりゃ、二時間かかるはずです!) 新千歳から関空まで、帰りの飛行機は二時間かかるということでした。 よくわかりませんでした。行く時にはだいたい一時間半くらいだったのに、どうして帰りが二時間なんだろう? またいつもの最大限の時間を言っておいて、現実は少し早く . . . 本文を読む