金沢の室生犀星記念館というところに行きました。友人に犀星さんのアルバムのような本はもらっていました。だから、あらためて自分が行かせてもらって、どんなものが見えるのか、少しだけ楽しみではありました。
でも、ちゃんと下調べもしていないし、犀星さんの文学の何を知りたいとかなくて、漠然と訪ねただけなので、細かなところまでは見られませんでした。そして、第一展示室のところで熱心に話し合っている若い男女がいたから、私はなるべく邪魔しないでスゴスゴと帰るしかありませんでした。
だから、ミーハーで行くべきではないんですけど、ついつい行ってしまった。兼六園もあります。お城の公園もあります。21世紀美術館もあります。文学関係でいえば、徳田秋声さん、泉鏡花さんその他の記念館もあったでしょう。
たくさんあったのに、もうすでに午前中で疲れていたのです。金沢に特急で乗り込みましたが、朝昼ごはんとなるお寿司を14時ころに食べ、金沢駅からずっと歩きっぱなしで犀川のほとりまで来ていました。地図も見ないで、だいたいこんなものだろうというあてずっぽう歩きですから、後戻りしたり、遠回りしたり、どっちに行けばいいのかかわからなかったり、ロスは多かったのです。
それでも、闇雲に歩きたかった。変なアドレナリンが出たようです。次の日は、だいたいの感覚がつかめたから、バスに乗ったりしたんだけど、久しぶりの金沢ではクタクタにならないと歩いている気がしませんでした。
だから、折角犀星記念館に来たのに、くたびれていたのでした。
市街地と郊外とを分け隔てる犀川です。金沢市の南西部分の地域はこの犀川に隔てられています。もっと南に向かうと大きな手取川というのがあります。反対の北側、お城を過ぎて東の茶屋街に向かう時にまたも川を渡らねばならなくて、こちらは浅野川というそうで、その二つの川に挟まれた少し盛り上がった台地の先端に金沢城がある、ということになるようです。
防御するにしても、なかなかの要害であり、前田利家さんはいいところにお城を作ったことになるようです。
そうか、もっといろいろなことがありそうですけど、私は旅人だから、町の様子を見させてもらうだけです。
それで、室生家はたくさんのネコたちと犬たちがいたそうで、そのまとめの表ももらいました。ツマロ(真っ黒な猫)、鉄(オス犬)、ゴリ(オス犬)、カンブチ(行方不明になった猫)……あと八匹……、それらのネコをかたどった箸置きも作られていて、家族へのお土産として二匹買いました。他のポーズをとっているネコたちもいましたけど、その時の気分はこの二匹だったようです。
ネコの俳句は見つけられなかったけれど、小さい命をテーマにした句はメモしています。
1 秋あはれ啼く声をさめ虫のゐぬ
秋の虚しさというものを感じています。虫たちが少しずつ鳴き納めをしていき、やがてはいなくなってしまう。そんな秋の終わりを感じています。
2 馬の仔はつながでゆくよ秋のくれ
馬の仔はなんて賢いんだろう。なんて人の気持ちがわかるんだろう。つないでいなくても、しっかりといるべき場所に向かっている。その馬の仔の成長を祝うような秋の夕暮れです。
3 蝉一つ幹にすがりて鳴かずけり
あんなに元気に鳴いていた蝉がどうしたことか、こちらが近寄っても、じっと見つめてても、全く鳴かなくなりました。ひょっとすると、この蝉の命はそんなに長くもないのかもしれない。あんなに鳴いてくれていたのに、来るべき時が来た。見るべきものは全部見終わったのだろう。歌うべき歌はもう終わりなのかもしれない。そんな夏の終わりです。
こんなのをとりあえずメモしました。また、今度はネコを探して読むことにします。でも、ネコは俳句のネタにならないかな。