★ 最初にメモを貼り付けてから、
監督・脚本 アンドリュー・ニコル
音楽 マイケル・ナイマン
イーサン・ホーク……ビンセント
ユマ・サーマン……アイリーン
ジュード・ロウ……ジェローム
アラン・アーキン……ヒューゴー刑事
ローレン・ディーン……アントン(ビンセントの弟)
それでは、「GATTACA」という映画のことを書いておきます。
遺伝子操作で赤ちゃんを得るのが当たり前の近未来のお話でした。
ビンセントという赤ちゃんは、生まれた時に心臓が弱くて三十くらいまでで死んでしまうはずだと、生まれた瞬間から遺伝子によって予測されます。それは、単に病弱というだけではなく、近眼・小柄・体力のなさなど、生まれた瞬間にいくつもの本人の持つ負の因子のすべてが認識・判断され、とてもこれからの社会では見込みのない赤ん坊としてスタートします。生まれた瞬間にすべての人生が決まるなんてね! そうした選別社会の未来なんだそうです。
今の世の中は、辛うじてあからさまな選別社会にはなっていないけれど、社会そのものは、いろんな尺度で選別されていることには変わりはありません。けれども、本人の努力によって未来は自分でつかめるもの、という話は生きています。それが本当かどうかは、何となくわかりません。
今だって、いろんな運命のもとに、いろんな子どもたちは生まれ、そこでもがいていたりすると思います。後天的なものもあるとは思うんですが……。
主人公の弟さんは、上の子の出生における反省を踏まえて、両親は遺伝子操作で生まれてくることを希望し、男でも女でも産み分け可能であったものが、兄と仲良く育ってほしいという意向もあって、弟して生まれ出てきます。この出産調整みたいなのが、とても未来的ですけど、すでに今はそんな世界に入っているかもしれません。
兄弟なのに、弟は何事も優秀で、成長も早く、何だってできる。そういう運命のもとに生まれ、着実に成長します。兄は、そんな弟が恨めしく、家を出ることを決意し、何をするにも血で選別される社会の中で、切り捨てられた貧民として育つことになります。
息苦しい社会が描かれています。遺伝子ですべてが判断され、将来も決まってしまうなんて、そこまで遺伝子が万能なのかどうか、私にはわからないのですが、これから人を選別する材料として有効利用されていくのかもしれない。
家を出たビンセントは、可能性を信じているし、こんな選別社会に飽き飽きしていて、地球から飛び出そうとする。そのために定期的にロケットを打ち出しているガタカ社に入り込みたいのに、どうあがいても、遺伝子は変えられなかった。そして、蛇の道は蛇、道は求めるものに開かれるというのか。
ビンセントは遺伝子詐欺を手伝ってくれる業者を訪ね、事故に遭ったという優秀遺伝子を持つ男ジェロームになりかわる作戦を始める。そして、まんまとガタカ社に入り込み(会社に入るには必ず遺伝子チェックがあるのです)、いよいよ土星の衛星のタイタンまでの旅に出ることになります。劣等人種として生まれたビンセントが、とうとうここまでたどり着きました。それは、いわば遺伝子詐欺でした。途中まではうまく行きそうでした。
ところが、ガタカ社内で殺人事件が起こり、犯人として社内にまつ毛を残している劣等人種が犯人の容疑者になりました。ビンセントが捕まったら、ここまで作り上げたウソが壊れてしまう。
警察はその犯人を特定するため日々ガタカ社内に入り込む。ビンセントが怪しいと思った刑事は、ビンセントを追い詰める。しかも、その刑事は、なんと昔ビンセントが捨ててきた家族のうちの弟だったのです。けれども、仲間の助けによりビンセントは検挙を逃れ、真犯人は見つかる。
殺人犯は、ロケット打ち上げ計画に反対する人を押しとどめるため、被害者を襲ったらしいのですが、被害者の眼に犯人の唾液が入っていて、そこから犯人検挙につながったものの、どうして殺人までしたのかというと、ロケット打ち上げ担当の局長としては、このチャンスを逃すと、次は七年後になってしまうそうで、チャンスを逃さないために邪魔しようとした人を殺したそうです。
ホイホイ物語は進みますし、ビンセントの目標は達成されてしまうし、映画も終わるのです。でも、やんわりと後味の悪いものが残ります。
ビンセントは、ロケットに乗り込み、すべての遺伝子(血液・尿・毛髪)を提供していたジェロームは、一生分のそれらを残し、自らを焼却してしまうのです。彼としても、足が不自由ではあるけれど、上半身は普通だし、自分の遺伝子をビンセントに売りはしたものの、自分は生きている。それを自らを殺すというシナリオには納得がいきませんでした。
今の映画だったら、そんな結末にしないで、遺伝子は貸してあげていたけれど、自分は自分の人生を生きるとか、下半身は動かないけど、本人は好きなように生きるというカタチにしてもらわなくちゃ! と思いました。
遺伝子というのは、いろんなプラス要素とマイナス要素を含んでいるでしょう。マイナスだから、その遺伝子を持つ人たちはいらない、という論理が間違っている。マイナス遺伝子を持つからこそ、次の時代を生き残れたり、環境悪化の世界に特異な能力を発揮したり、突然の才能を開かせるかもしれないのだと思う。
厳しいデータはあるかもしれないけど、それがすべてではない。というのが私の感触です。それで支配される人間世界なんて、まっぴらごめん、なんだけど、世の中はどちらかというと、効率優先・マイナス排除で動いている気もします。マイナスのレッテルを貼られた人たちの生きるすべが見つからない。