甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

組曲「櫛田川遡行 朝の通勤」

2020年04月17日 21時18分51秒 | ザンネン日記・身辺雑記

第1楽章 何度も確かめながら
 「行ってきゃーす」と妻に言う(ナンダソリャ!)。右の靴をしっかり履いたら、エンジンをかける。左の靴は、脱げそうな感じ。どうしてこんなにだらしない? それは、だらしないのといい加減なのと……。そんなんでいいのか、気にならない? わりと、気にならなくて、そのうち何とかなると思っている。

 ゆっくりと左右左して、通りに出る。まだ、早いからどちらからも接近車は来なくて、左にクルマを出したら、あとは大きな通りへと進むだけ。信号のところまでトロトロと進む。そのまま直進して次の信号まで進む。ついこの間くらいまでは近所の学校のサクラに目が行ってしまったけれど、もう見とれるものはなくて、ぼんやりと前のクルマを見ながら進む。

 前のクルマがいなくても、動き始めたばかりだから、ゆっくりと進む。朝のニュースを聞きながら、とはいえ、あまり新鮮な情報はなくて、漫然と聞いている。朝起きてから1時間以上経過しているが、クルマに乗ったばかりだから、まだクルマ用の頭ではない。少しずつクルマの中の人になっていく。

 信号待ちして、右折するくらいから、ようやく運転モードが起動して、道を普通にたどれるようになる。それまでフワフワしていたものが、少しずつ落ち着いて道を転がっていく感覚になるんだ。

 何度か信号待ちを繰り返し、何度か右折・左折を経て、やっと川沿いの道に出たら、あとはそのまま道を淡々とたどればいい。やっと朝の通勤の道が始まる。それまでは、少しゴタゴタしていて、まとまりがない感じだった。

 今の通勤の道は、川沿いの道に出たところで、やっと何もかも落ち着いていく。すべてがそこからスタートする。今まで鳴ってた音楽も、ニュースもただの音にしか過ぎなかったものが、やっと音楽になり、情報として耳に届き始める。



第2楽章 まっすぐではないけど、カーブでもなく
 右折左折のクルマを受け入れながら、川沿いの道は続いている。最初は古い集落、ここは東京で食品会社として成功したおうちの本家があるところ、それ以前に江戸時代には白粉(おしろい)を作ったり、こんな川の中流まで船が上がってきたり、産業の中心であった町で、今もたくさんのお寺さんがある。それが当時の面影を残している。

 夏には祇園祭といって、華やかな山車が夜昼練り歩く、地元の人は1年で一番盛大な行事で、ごちそうを作って祝う。

 今はサクラの終わった春で、普通の田舎町みたいになっている。けれども、裸ん坊だった柿の木に新緑が出てきて、まるで黄緑の花が咲いたようだ。その柿の木をかきわけて進むと、今度は一面の太陽光パネルで、今はいいけれど、夏はどうなるんだろう。恐ろしいくらいだ。太陽光パネルは電気を生み出し、お金を稼いではいるのだろう。でも、その電気はどこに行くのだろう。そして、たくさん散布される除草剤は、二度と農業利用を許さなくなるかもしれない。パネルの耐用年数が過ぎたら、ここは今以上の荒れた土地になるしかないのか。もう人が住まなくなるから、それでいいのか、私にはわからない問題だ。

 曲がったりまっすぐ行ったりしているけれど、ほとんどハンドルをつかんだままで、ちっともクルクルすることがなくて、高速道路の運転と同じようなだるさを感じる。じっと同じ姿勢でハンドルを握り、じっと同じペースでアクセルを踏んでいる。

 強弱がないので、ハンドルを握る場所を変えたり、片手で持ったり、あれこれしながら、淡々と進む。ハンドルを握るという行為さえも苦痛になってしまう。それくらい腕の筋肉がなくなっているということか。さて、次の大きなカーブと坂道を降りたら、別の町が見えてくるんだ。



第3楽章 谷あいの町を過ぎて
 山里をいくつか抜けて、坂道を降りたら、開けた町に出る。昔はここから電車も出ていたというが、それは遠い昔のことで、今の若い人たちに電車のことを話しても、そもそも若い人は、電車への憧れをなくしている。

 夢の超特急も夢破れて、ただの生活手段に成り下がっているけれど、たいていの電車は、赤字と戦い、消滅の危機に立ち向かっている。けれども、地方の若い人たちは、電車なんて信用していないし、自分たちのクルマで移動することを好んでいた。

 今そのクルマも怪しくなっていて、若い人たちはクルマにも夢が持てなくて、ただの生活道具としてのクルマしか見えていない。赤い車や高級車やスポーツタイプ、そういうのは年寄りばかりが運転している。

 この山の中の集落は、かつては山の中の繁華街でもあったはず、今はただお店を開けているというだけで、人口減少は進み、家々はつづいているけれど、お年寄りばかりのオールドタウンになっている。

 そういう町は、お年寄りがいつ本人も、クルマも飛び出してくるかもしれず、左右を気にしながらゆっくり抜けると、ようやく櫛田川は、すぐそばまで来てくれる。ただし、十数メートル下を滔々と流れ、切り立った崖の上をすり抜けるように道路は続き、家は迫り、古い街道も、現在の国道も重なり合いながら、少しずつ高度を上げていく。

 やがて、古代の人々なら、町を作ろうと考えるような高台に出て、桜はあふれ、山は迫り、川は町の中に消えて、ボクのお仕事場にたどり着く。

 ほんの数十分の出来事ではあるのですが、自分の腕を支えるのがとても重くて、ほんとに力がないなあと実感しながら、少し疲れてクルマを降りるのでした。



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