甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ワインズバーグ・オハイオ(アンダスン) 1919

2020年04月18日 05時33分11秒 | Back To The 80's

 1978年の6月、ボクはこの本を買っています。どうしてアメリカ文学なの? という感じですけど、短編ならホイホイ読めると思ったらしいのです。活字に飢えてただろうし、文学的なものを何でもいいから手に入れようとしたのかな。それとも、英語の宿題として読まされたんだろうか。違うと思うんだけど、とにかく、それからしばらくこの本と行動を共にしていたようです。

 二百数十ページほどなので、読める人なら半日・1日で読んでしまうんでしょうけど、もちろんボクには簡単に読めなくて、ずっとお供にしていた。

 夏真っ盛り、新宿から夜行列車に乗って、飯田線を走破して、豊橋まで出て、そこから名古屋、そのあと、関西線経由で大阪までという、壮大な計画を立てたことがありました。

 当時、日本一の乗降客数の新宿駅には何度か行って、その構内にアルプス広場という不思議な呼び方をされるところがあって、そこに並んで夜行電車に乗る、というのをしてみたかった、というのもあるのでしょう。

 70年代の終わり、まだ人々は夜行列車を普通の移動手段として利用していて、登山客のみなさんはグループを組んで乗り込み、楽しい移動時間を味わった後、信州の山々にそれぞれ入っていった、穏やかな時間がありました。

 今なら、山に登る人たちは、ポイントまでクルマで出かけて、手際よく回って、サッと帰る、ということになるのかもしれないけど、昔も時間的には1泊2日とかで、変わらなかったかもしれないですけど、あなた任せにする部分があった気がします。今は猛然とポイントまで自分が必死にならないとたどり着けないのです。

 新宿から、急行アルプスは何本も出ていたような気がします。急行券も出せないような貧乏学生とか、チンタラと走る普通列車の風情が好きな人とか、甲府まで行く人、石和(いさわ)まで行く人、諏訪まで行く人、いろんな利用をする人たちを抱えながら走る普通列車があったんです。


 あこがれの中央線夜行列車に乗り込みました。登山客や一般客、いろんな人たちが並ぶアルプス広場で、しばらく待たされて、駅員さんが誘導してくれるままに乗り込んで、やっと座った。

 でも、わざわざ並ばせられるほどのお客さんではなくて、この日はわりとガラガラでした。平日だったのか、ひまな学生もいなかったのか、4人掛けのボックス席をひとり占めして、いい気なもんで、家に帰ろうとしているサラリーマンの人々を見ていた気がします。何しろボクはこれから壮大な鈍行列車の旅に出る探検家であり、この人たちと次元が違うのです。ずーっと電車をつないで、ほとんど休みなしで、寝るところはこの電車の座席しかなくて、大変な苦労が待っているのです。

 そこへ飛び込んだボクは、日常と非日常が交錯する駅というものの不思議さみたいなのを感じていたんでしょうか。

 背の高い黒人の若者がホームを歩いていました。この電車に乗る気配もありました。大きな荷物を抱えているわけではなかったけど、どこか座る場所を探しているみたいでした。

 ボクはできることなら、このままポツンと4人掛けをひとり占めしたいと思っていました。都会の人がどっさり入ってきたら、気づまりになるじゃないですか。

 行き過ぎた黒人の人が、ボクの車両に入ってきたみたいでした。ボクは進行方向の右側の窓際に座ってたのかな。そこへ、「ここはOKか?」とやってきたのです。

 えっ、何かイヤなんだけど、まあ、いいかと、ウンウンと合図をすると、彼はボクの隣に座りました。他にもたくさん空いているのに、どうしてここなんだろう? とは思いました。でも、現実問題として彼が来てしまった。


 彼は、コミュニケーションをとろうとしていろいろと話しかけてくれたと思います。ボクも答えようとしたと思います。もう、ボクの旅心はどこかへ飛んでしまって、ひたすらこの若者に向き合わねばならなくなりました。

 もちろん、今となっては何も憶えていなくて、困ったなあという印象しかありません。それで、ちっとも「ワインズバーグ・オハイオ」にならないでしょ。

 彼が手紙を書いて欲しいと言うのです。住所をメモしてくれともいうので、彼が見せてくれた住所を書こうとしました。でも、手元にメモがなくて、そこにあったのがこの本で、近所の本屋さんのカバーが掛けられていた。

 横浜市港北区……と書かされて、その横に彼が「SEND ME A LETTER」と書き込んで、彼に手紙を書く手はずは整いました。もちろん、ボクは書く気はなかった。たぶん、書かないだろうなと思いつつ、言われるままにしていた。

 ただ、それだけの出来事です。彼は未明の甲府で降りていきました。親しそうにボクの膝に手を掛けたりして、「何か、違うな。これがコミュニケーション?」と思いつつ、彼が甲府で降りたら、やっと解放されたという気分になりましたっけ。

 そのあとも、いろいろと普通列車の旅はあったような気がしますけど、もう最初っから眠くて、眠りこけてるのか、電車に乗っているのか、よくわからない旅になったのは確かでした。

 飯田線をすべて鈍行で走破しろと言われても、今ではできない気がします。あまりに長いのです。でも、若いころ、何も知らないのでできました。時刻表ならずっと目で追いかけて、こんな風にして電車と時刻が流れていくんだと見えますけど、現実の時間はなかなか過ぎなくて、本も見ていないのに、スッと意識がなくなるんですから、怖い旅でもありました。あんなことは二度とできないのです。

 今なら、スッと目的地に行き、用事が済んだらすぐに帰る、そういう旅なんだと思うのです、このボクだって!

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