今さっき、お風呂に入っていて考えました。最近は本当に即物的になってきて、目の前にあることしか考えられません。だから、今だって、明日のことなんか考えてなくて、ただ寝る前のいつもの日記みたいにしてパソコンを開いています。
帰宅したときも、お義理でいただいたチョコを2つ、とにかく味見したいと思って、包み紙は破り捨て、箱もズタズタにして、1つ食べたら、「はあ、こんなもんか」と、もう興味がなくなりました。ああ、即物的で、目の前にあることしか考えられない。
もらったときは、とにかく家で奥さんに見せるまでは我慢しようと思ったのだけれど、家に帰ったらムシャムシャでした。ああ、何ということか。義理もへったくれもありませんね。ただのチョコの野獣です。
とにかく、そうなんです。目の前のことしか考えられない。
ヒゲソリを見てて、ふと考えました。
私は、だれが何と言ってもヒゲソリはお風呂に入るときにヒゲソリをしています。だから、翌朝にはそれなりにヒゲは出ている。夕方帰宅したときは、もう数ミリは伸びている感じですか……。ヒゲは白いですけど、よく伸びます。
というわけで、朝、それなりに見えたら、多少伸びていても、まあいいかと思うようにしています。
ヒゲ以外でもみっともないところはいっぱいあるし、多少伸びてても、もういいやという感じです。だから、夜のお風呂の時に剃ります。電気カミソリを選ばないのは、そり味がキライだからです。カミソリで剃った方がとてもスッキリします。電気は、私の場合はイヤなんです。電気カミソリが好きな方もたくさんおられるでしょうけど、私はカミソリです。
それで、四枚刃のカミソリを使っています。これを使うようになったのは、数年前からでしょうか。それまでは1989年に仕事場で支給された二枚刃のヒゲソリでした。それを二十数年使ってきて、愛用していたのに、たまたま四枚刃を買ってもらって、そこからはついついそり味のいい四枚刃に乗り換えてしまった。二枚刃はきっと泣いているでしょうけど、このまんまかな。
そして、いくら切れるとはいえ、いつかは刃を替えなきゃいけないのですけど、今はもう一年くらい、いやそれ以上かもしれないけど、ずっと使い続けています。まるでそり味は変わりません。だから、絶対四枚刃を使い続けたい。とても経済的な気がする。
ところがある時、とんでもないことが起きました。
たまたま母からもらった、桜島の溶岩入りの洗顔石けんがあったので、いつもは石けんで泡立てるのに、どうせ顔も洗うんだから、溶岩入り洗顔石けんでひげ剃りをしようと考えたのです。何事につけグータラな私のやりそうなことです。
さてそうすると、ご愛用の四枚刃は一切切れなくなりました。「あれ、この溶岩入り石けんと相性が悪いのかな」と、いつもの石けんでふたたびやり始めましたが、全く切れないのです。
仕方なく、?年に1回しか刃を替えないヒゲソリの刃を替えました。そして、ふたたび溶岩入り石けんでヒゲをそろうとしましたが、同じ結果になりました。溶岩石けんの何かが、金属部分をだめにしたのだと2回目で悟って、もう二度と溶岩石けんでヒゲソリはしなくなりました。
たぶん、それから?年も刃を替えていません。化学的な知識があれば、絶対にやらないことなのかもしれませんが、私は一切そういうことは考えられないので、二度続けて失敗しました。三度目はまだないけど、たぶんやらないと思います。
ということで、何年も使っているステンレスの替え刃、なかなか優秀で、今も使えている。毎日ヒゲを剃っているのに、本当にたいしたものです。商品名は書きませんけど、なかなか気に入っています。
そして、『徒然草』の最短の章段へとトリップします。
229段「よき細工は、少し鈍き刀を使ふといふ。妙観(みょうかん)が刀はいたく立たず。」
よい職人さんは、切れ切れの刀じゃなくて、イマイチよく切れない刃物を使うということだそうな。奈良時代の名工で妙観という人がいたそうですが、その人の使う刀もそれほど切れるものではなかったということだ。
本当なんだろうか。近ごろテレビでは、日本の伝統的な職人さんを取り上げて、国威発揚というのか、古き日本の伝統を称揚する番組を見ることがありますけど、みんな自分の道具は、自分で研いで、自分に合うように工夫しているみたいだし、どれもこれも特別な切れ味があるみたいに見えるけれど、どこかにヌルイところがあるんだろうか。
力の入り具合は独特だとは思うのです。角度も違うはずです。道具はどうなっているのかなあ。とりあえず私のヒゲソリは、?年以上も替えずにそのまんまいつまでも使われています。私のヒゲで研ぎ澄まされていくのかなあ。まさか、そんなことはないしねえ、不思議ですね。
というわけで、表紙の写真は、大好きな琵琶湖の白ひげ神社の鳥居でした。ここは大好きなんだけど、2回しか行ったことないです。3回目はいつかなあ。