チェ・ゲバラという人がいました。私は別に彼のことを詳しく知っているわけではありません。今まで、どこかで、彼の肖像・イラストに出会っていて、いろんな人が彼について憧れと哀しみとをもって語るのを目にしてきました。
とても象徴的な存在でした。亡くなってから五十年以上経過していますが、彼は今も自由と民主主義のヒーローの一人でしょう。キング牧師さんとか、ガンジーさんとか、劉暁波さんとか、ネルソン・マンデラさんとか、もっとたくさんいると思うけど。
だから、ロックの人々の憧れにもなりました。ロックが大事にするのは、平和と人の気持ちに寄り添い、それを熱くみんなに語るということですから、彼みたいに実践できた人には、リスペクトしかないのでした。
そんな伝説的な人ですから、私は逆にあまり近寄りたくなくて、何だか革命のオバケみたいにしか見えていなかった。
それがたまたま見てしまった「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2004)という映画で私の「チェ・ゲバラ」観は大きく変わりました。
映画が本当の彼なのか、作られたヒーローなのか、割と淡々と描いた映画ではあったので、世の中的にはヒーロー扱いされているゲバラさんだけど、これが本当の姿を伝えるものではないかと感じたりしました。
ものすごく等身大で、ささやかなことに心を痛め、いつも新しい世界を夢見る若者たちで、その思いが少しずつ行動に変化していくのですから(映画の中では後の激動の人生は描かれません)、それを考えると、この若者たちの旅は、ものすごく意味のある行動であったと、自分はそんなことができないので、うらやましくもありました。
ウィキペデイァのあらすじを少し借りてみます。
1952年1月4日 、アルゼンチンのブエノスアイレスに住む医大生エルネスト(ゲバラさん)は喘息持ちにもかかわらず、先輩の「放浪科学者」こと生化学者のアルベルト・グラナードと共に1台のバイクにまたがり、12,000キロの南米大陸縦断旅行へ出かける。
途中、恋人に会ったり、バイク事故に遭ったり、雪山を通ったり、徒歩やヒッチハイクや最後にはイカダに乗ったりと、先住民族(インディオ)や、チリのチュキカマタ銅山の最下層の労働者、ペルーのマチュ・ピチュや ハンセン病患者らとの出会いなど、行く手に巻き起こるさまざまな出来事を通して、南米社会の現実を思い知らされる。
角川文庫でも出ているし、たぶん、うちにも本はあると思うんですけど、映画のほんの2時間の間、南米のあちらこちらを見て、その不条理を感じ、これをどうにかしなくてはならないという強い思いを持つ形にはなっています。
彼らが目を向けたのは、立派な観光地ではなく、貧しい人たち、引き裂かれた人たち、救いを求める人たちでした。それくらいに当時の南米にはいろんな矛盾があったのかもしれない。今はどうなっているんだろう。
若い二人は、自分たちにできることをその場で懸命にしてあげて、しばらくして落ち着いたら、またどこか違うところへ向かっていくのです。
この貧しさの裏には、チラチラッとアメリカの豊かさも見えていて、アメリカがあんなに豊かなのは、南米の人々を虐げ、搾取し、中南米の人々の犠牲の上でアメリカだけ唯我独尊の豊かさを享受しているように見えてきます。これはその仕組みから改めなくてはいけないという力につながっていく、というふうに見えました。
ブラジルの人が監督さんで、制作面にはロバート・レッドフォードさんもいるということでした。ゲバラさんのロードムービーでした。
それで、私はまた、先日の「空港ピアノ」のチリの若者に戻るのです。
世界中に、そんなにお金はないけど、とりあえず世界を見てきたいという若者がいて、何か一つ自分に生かせるものを手にして、たとえばギターとか、たとえばスケッチブックとか、たとえば、道路に絵を描きたいから、チョークだけを持つとか、大人から見たらつまらない何かを携え、ヒョイと知らない国に飛び込んでいきます。
そこで人の情けに生かされながら、自分の次の道を見つけていく。もちろん、その瞬間は、まわりにさわやかな風を吹かせ、あたたかな気分を残していく。彼ら、彼女らは、そうしないと自分も生きていけないし、そうした人々とつながることが自分の生につながると体感しているように見えます。
テレビで見たチリの若者は、ギターとピアノのできる人でした。曲は2001年の映画「アメリ」のワルツでした。ズン、チャッ、チャッと、ゆっくりとした感じの演奏していました。その音の一つ一つに彼の見てきたものと、これから過ごしていく未来が見えた気がしました。
そうした人々の思いを抱えながら、新しく出会った人々に新たな風を吹きこませる人になれたらな……と思います。ゲバラさんもそうでした。この前の若者もそう見えた。先日亡くなられたペシャワール会の中村さんもそうでした。私は、そういう風は吹かせられないけど、邪魔はしたくないし、応援したいし、一緒についていきたい気分でいます。