父の自転車で、渡し船に乗りに行きました。目的は、とにかく、闇雲に走るということだけでした。父の自転車は、肝心の父が入院してしまったから、しばらく外に出てなかったはずだから、外に連れ出してあげようと思ったんです。
別に自転車に人格があるわけはないけど、父の誕生日にボクがプレゼントしたことになってた(出資しただけです)から、親孝行仲間として、自転車くんをねぎらう意味もあったんでしょう。
雨の日も、風の日も、寒い日も、遠くの会場で練習する日も、いつもこの小っちゃい自転車は、ゲートボールに行く父のお供をしていました。えらいヤツだったのです。その父が秋から入院して、久しぶりに実家に帰ったボクは、父の顔も見たけど、病院にも行ったけど、何だか手持ちぶさたで、父の自転車を借りて、ほんの少しだけ遠出しました。
ボクの実家は、少し走ったら、すぐに工場街になるし、どんどん走れば、海なのか、川なのか、堤防にはぶつかるし、遠回りしたり、よじ登ったり、水面を眺められるところに行くのがもう小さいころから習慣になってました。
せっかく水のそばまで来たら、たいていは工場などに邪魔されてるから、チラッとでも水面を見たくなるのでした。小さいころからの憧れかな。
小さいころ、一回か二回くらい、七夕飾りを渡し船から流したことがありました。そのうちに川は汚れて、七夕飾りとはいえ、やはりゴミになるから、川を汚すのはいけないから、やがてはそういうこともなくなりましたけど、川のそばまで行くのは、何か普通ではない、何かが始まるきっかけにはなってたんです。
父のこと、気にはなるけど、そんなにいっぺんにどうこうということはなかったのです。母も、「どこか散歩をしておいで」と言うのです。
高校生の時、休みの日などは、ひとりで自転車で川を渡り、どこか知らない身近な世界へ行ったものでした。当時も、特に目的はなかった。ただ、知らない道や、知らない街が、すぐそばにあったから、とりあえず、そこを走ってみたかっただけです。
そして、オッサンになってたのに、父は入院しているというのに、久しぶりに実家に帰ってきたムスコの気晴らしのため、母はそんなことを言いました。
その言葉に甘えて、ボクは、その時は南をめざし、渡し船のはしごをする、みたいな気分で、とにかく、一つ渡ったら、次の渡船場まで走り、そこから戻って来る、ただの遠回りのムダな行動ですけど、そんなことがムヤミにやりたかったんです。
造船所跡を、大阪の芸術センターみたいにしているところを抜けました。こんなところに、そんなものがあるなんて、少し不自然でしたが、それなりに使われているみたいでした。でも、もう少し活用法はあるみたいだったけど、今はどうなっているかな? もう9年も前の話でした。