「滑走路」という歌集を読ませてもらいました。ここで若者たちの静かな怒りのようなものを感じました。
若者たちを踏みにじりながら、年寄りや社会はのうのうと存在している気がします。私は、どちらかというと、踏み倒されてきた方だと思いますし、今も浮草のように生きていて、いつでも枯れてしまうものだと思っていますが、私みたいなものよりもはるかに今の若い人たちは重いものを背負わされているのでしょう。しかも、彼らには説明もされません。
どうしてこんなに不景気なのか? なぜ日本経済はこんなにダメになったのか? 世界への戦略みたいなのはないのか? どうして日本のまわりの国は、こんなに日本に対して友好的ではないのか? 韓国と台湾だけがかろうじて友だちで、あとはどこにも友だちはいないなんて! タイやマレーシアは独自の道を歩いているし、シンガポールははるか向こうに行ってしまった。
ミャンマー? どうして軍事政権を日本は支えているのか? 何の理由・根拠があって原発を再稼働させるのか? ただ単にお金がないから、既存施設がもったいないから、あと数十年使うというのか! ただの無策じゃないのか?
もっと、もっと若者は言いたいでしょう。でも、彼らは面と向かっては言いません。言ってもどうにもならないと思っているのかもしれない。かなりの人たちが諦めかけているのかもしれない。
若い人たちの声を、どのように生かしていくのか、年寄りである私は考えこんでしまいます。でも、どうにかしてあげたい。
人間も樹木もビルも立っている地球はサボテンのようにトゲトゲ
どっかーんと爆発をしたそのあとじゃ遅いのだけど再稼働する
負の連鎖断ち切ることはできないかテロに空爆 空爆にテロ
トゲトゲの地球の上で、テロに空爆の負の連鎖、再稼働する危なっかしいものとの同居、「どうにもならないんだよ」という声が聞こえてきます。でも、私は何とかしたいんだけど、何にもできていないかも……。
現実は重すぎるから空想の世界にひたる電車の中で
ぼくたちはロボットじゃないからときに飽きたり眠くなったりする
ぼくたちはロボットじゃないからときに信じられない奇跡を起こす
ぼくたちはロボットじゃないからときに飽きたり眠くなったりする
ぼくたちはロボットじゃないからときに信じられない奇跡を起こす
若者は空想の世界・ヘッドホンの中・自分の中で生きているようです。本当は別の生き方があるのは知っていても、とりあえず、外にいる時は自分を壊されないように、自分を守りながら生きていく。
でも、まるでそこに生きているのを否定されるような、単に「ロボットとして生きろ」と強制されるような、非人間的な毎日に苦しくなってくるんでしょう。そのバランスをとるためには、自分を守るしかないようです。
でも、何かを信じずにはいられないし、何かが起きることも信じている。
何が起きるんだろう。
満員の電車のなかで群衆の一部となっている俺がいる
ヘッドホンしているだけの人生で終わりたくない何か変えたい
何もしないと、そこからは何も生まれない。でも、どうしたら、何かが変わるのか? そのヒントが見つからなくて、とりあえず短歌を書いてみた。いや、そんなとりあえずではないと思います。一生懸命に何か突破口を探している感じはするんです。
でも、私みたいなオッサンでも、私は私とか、適当に独自性・オリジナリティを気取っているけれど、実はみんなの中の一人であり、何の独自性もありません。私はヒーローではないのだから、私のやり方で、人が気づいていなかったら、私ができることを誇らずに、淡々と、チョコマカっとやるだけです。
みんな、ささやかに少しずつ世の中を変えたいと思っている。でも、それだけではダメで、本当はちゃんとした運動・動きにならなきゃいけないのでしょう。それは見えないんだけれど、でも、どこかにあるんです。
若い人と私たち、お互いに声かけあって、動きを作れたらいいんだけどな。