求めていた音楽を探すことって、私だってたまにあります。最近は、FMなどで気に入った曲があったら、ネットやら、インターネットなどで調べて、たどり着くことは割と楽になりましたけど、それでもなかなかめぐり合えないこともあります。
一度チャンスを逃すと、どんどん耳から音楽は消えていくし、頭の中からよかった気持ちも薄れていきます。そして、跡形もなくなってしまう。いいなと思ったら、すぐにカタチをとどめておきたい。せめてタイトルとか、アーチストの名前でもつかまえなきゃ、せっかくの出会いはなかったことになります。
とはいうものの、最近は出会いたい音楽そのものがなくなって、バッハの広大な世界にぼう然としたり、何だか気に入ったんだけど、自分が信じられなくて、youtubeで聞き直して、そうでもないやと思おうとしたり、何だか半信半疑です。
なるべくだまされないようにしよう。自分を信じないようにしよう。どうせ音楽なんてうたかたさ、そんなのを追いかけてもムダさ。なんて、自分がおかしくなったのか、自分に余裕がないのか、何だか音楽に憧れているのに、近寄れていません。
夕方のラジオで、ずっとマイルス・デイビスの特集をやっていて、何だかいいかも、って思えても、これまたあまりに広い世界で、やはり私には入れない世界ではありました。私みたいなのは、もう少しだけ分かりやすいところから、例えば映画のサントラとか、そういうところからマイルス・デイビスは聞かせてもらわないと、いけないのかもしれません。
ものすごく安い3枚組を買ったことはありますが、あまり聞いてないですね。また、いつか整理した時に聞いてみなくちゃ。
UAさんの「真夜中のギター」は、聞いた時に衝撃を受けました。
誰が歌っているんだろう? 聞いた後に、すぐにUAさんって、分かったんだったか。ひょっとして分かってなかったのか。
とにかく、曲はものすごく知っていました。小さい頃に家族みんなで聞かせてもらったし、父のレパートリーにはならなかったけど、母もハナウタにはしなかったけれど、子どもの私の琴線にはふれた曲でした。
町のどこかに、寂しがりやの人がいて、今にも泣きそうにギターを弾いていたんでしたね。
愛をなくして、何かを求めて、さまよってたんでした。
さまよったとしても、答えは見つからないし、夜にいくらもがいても、答えは見つからないんです。ヒントが落ちてたり、誰かに出会うチャンスはあるだろうけど、それは答えではなくて、歩いて行くきっかけでしたっけね。
千賀かおるさんは、カゴシマ県の人でしたか。少しカゴシマ女性の顔みたいなところもありましたね。でも、もう芸能界からは遠ざかっておられるでしょうか。
でも、彼女の歌は、いつまでもさわやかに、静かに夜を解きほぐしてくれる歌ではありました。
もう長いこと聞いてないけど、私のそばに今もある歌です。
たまたま見つけたUAさんの「真夜中のギター」は、どこにもありませんでした。タワーレコードにも、ブックオフにもです。いろんな中古屋さんにも行きましたが、1997年にシングルで出て、アルバムには入ってなかった。
それで、シングルを探すんですけど、ずっと出会えなかった。
今だったら、アマゾンからお取り寄せになるんだろうけど、今から十数年前の私にはアマゾンは遠いところにありました。
一度聞いただけで、もうたまらなく聞きたかったんだけど、歌も、音楽も知っているのに、UAさんのが聞きたかったのは、夜そのものに歌ってもらっている気がしたからです。
私たちがつかみきれていない夜が、UAさんを通して、古い曲だけど、その中を通って私のところに来てくれたみたい、そんな感じがしました。
だから、それはおうちに置いておきたかった。そんなの、買ったとしても、すぐに家の中に埋没するのは分かってるけど、でも、たまにやたらに聞きたい時、聞かせてもらえたら、簡単に夜さんと友だちになれそうだったのです。
求め続けて何年かして、古本屋さんだったか、CDやさんだったかで手に入れて、それから「真夜中のギター」はパソコンにも、家の中の荷物の中にもあるけど、簡単には取り出せないけど、私の心の中ではいつでも鳴り出すんです。残念ながら、千賀かおるさんではなくて、私の脳内再生ではもうUAさんになっています。
ゆっくりとしたテンポと、飾り気のない音で、声が聞こえてくるんです。とてもありがたいことで、この一枚で私はUAさんの支持者になりました。