先週の土曜日、妻と熊野の七里御浜に行きました。
七里というくらいだから、二十数キロの海岸線が続きます。砂浜ではなくて、石浜です。ゴロゴロと白い石が大小とりどりにまあるくなって積み重なっています。
その北の端っこが熊野市で、ここからずっと南に七里行けば、熊野川(新宮川)が流れていて、川を渡ると和歌山県の新宮市になります。
二十数年前、私たちはこのあたりに暮らしていました。イヤなこと、困ったこと、悲しいことなどボンヤリと思い出されますが、何度も確かめるようにこちらに出かけるということは、何か当時の自分たちの暮らしをもう一度感じたいという郷愁みたいなのもあるのだと思います。それはもう、印象の深い土地ではあったのです。
ここは、井上靖さんが詩を詠んだり、司馬遼太郎さんが若いころに冒険小説『風の武士』を書いた舞台だったりしました。中上健次さんと佐藤春夫さんのふるさとでもあります。
そりゃ、不思議な土地だから、いろんな人たちが引き寄せられてきた歴史があるわけです。ここにこだわって小説だって書けてしまうのです。
今は、世界遺産にもなっているので、あちらこちらに外国の方も出没しています。日本の人たちからは遠い存在になっているこの地方を、外国の人たちが掘り起こしてくれている感じ。それなのに、私たちは自分の大切なものを少し忘れている。
今年の一月に亡くなられた梅原猛さんは、こちらを気に入ってくださって、何度か訪れてくださったようです。新宮の町で二月に行われるお祭り(火まつり)にも参加されたそうですから、この土地には何かがあるとは感じておられた。
私は、熊野から離れたつもりではいます。でも、どこかにつながりがあるような気もして、時々は電車やクルマで訪ねてはいます。
たまに訪れると、さびれたところだけが目立って、町の新たな動きが目に入らないけれど、さびれつつも、これからの在り方を町自身は模索はしているようです。自然は、石が供給されなくなった石浜を削りつつあって、一部ではかなり海との距離が迫っているところもあります。
昨日のように、天皇皇后両陛下が伊勢の神宮に即位したのを報告に来られる、ということはありません。皇太子の時代に、今の天皇さんはこちらにも来られていましたが、天皇となった今は、遠くなってしまったことでしょう。伊勢には来るけど、熊野は少し遠い。
東側に広がる海は、いつ大きな波がやってくるかもわからないし、背後の山は急にそそり立っていて、簡単に大波から避難するのは難しいし、この熊野の地は、どうあるべきなのか、個々に模索はされているでしょう。
世界遺産だから、さあ、みなさん、巡礼に来てくださいね、と言われても、肝心の信仰心が人々の心から遠くなっているから、アリさんのようにこちらに巡礼する人々がつづく「アリの熊野詣で」は今はありません。
うちの母は、オバチャンになってから、団体旅行ファンになって、何度も来たみたいだし、私がここに住んでるときには、たまには息子のとこへも行ってみようかということもありました。でも、もう高齢になってきたので、こちらに出かけることもなくなったようです。私が連れて行ってあげなきゃいけない、のかもしれないです。
芭蕉さんだって、こちらには足跡は残していません。
そういう土地と、私はかつてつながりがあって、今も細々とこちらに出かけている。信仰心はないけど、私は何かを訪ね、求めてはいるのでしょう。
すぐに日帰りで帰ってしまうから、夜にはドッと疲れて寝てしまうだけなんですけど、今回は、こちらでミカンを買って、それを親戚の方や友だちに送ったので、少しずつ「ミカン届いたよ」という連絡などをもらうと、今も私の熊野の浜辺は改めて心の中に広がっていくのです。
1 秋の海思い出は光の照射を受けて
2 友だちのミカン届くに光る海