帰り道、千住明さんの「日本映像の二十世紀」を聞いてきました。冒頭のメインテーマを聞き、当時もそう思ったけれど、私たち日本に住む人々は、個々に努力し、さまざまな思いを抱えながら、懸命に生きてきたのだなとしみじみとしていました。
でも、家にたどり着く頃、同じ曲調のエンディングテーマを聞き、確かに日本に住む人々は、それなりに努力し、今も同じように生きているけれど、過去の日本人は、あやまって戦争を起こしたんだよなということに気づきました。
現在の私たちは、そのことをつい忘れがちで、それは過去の日本人の過ちである、ということさえ忘れようとしている。そして、今は全く別の時代を生きているような気分で、自分たちは平和な日本国に生きているのだという、おごりとまではいかないけれど、過信に陥っているような気がしたのです。
過去の日本人たちはたまたま間違って戦争を起こしてしまった。でも、今の日本人は絶対に過たない、と誰が言えるのだろうと思ったのです。
私たちは、個々には真面目で、懸命に生きているけれど、国全体としては、いつ間違うのかわからない怖さを今も持っているような気がしたのです。
まさか、そんなことはあるわけないじゃないか。というのは簡単ですが、絶対に間違わないとは言えない。少なくとも、私は自信がない。私たちの心の中に国粋主義的になり、よその国なんかどうでもいい、なんだったらK国だって滅びても何ともないし、A国がK国を攻撃するのなら、支援してもいい、という変な気持ちを起こさないだろうか。
たとえば、C国で内乱が起こるとか、民族テロが激化するとかしたら、それみたことかとよその国の火事・事件をザマーミロと思わないだろうか。
私には、自信がありません。ザマーミロと思うだろうし、K国なんて、メチャメチャになったらいいのに、という悪魔のような心が全くない、と言い切る自信がありません。
内乱やテロ、国内の混乱は、よその国であっても起こって欲しくないのに、ついつい意地悪な気持ちになる、そういう時もあります。
どんな国であっても、混乱して欲しくないのに、それを望んでしまう心。
たぶん、いろんな人の心にあるでしょう。そうした人の弱みにつけ込んで、さあ国防軍を作らねばなりませんよ。テロ防止のためには、個人のプライバシーものぞける強力な情報組織が必要ですよ。そして、今後の電気需要をまかなうためには、今ある原発をフル稼働しなくては、経済的に困りますよ。
すべてがなし崩しで進んでいくような気がします。すべて私たちの弱い部分があるからです。
そうした自分の弱さに向き合い、あえて不便で、無防備で、不経済で、非効率的な私たちの生活というのを少しでも推し進めるように、まずは自分のまわりからしていきたいと思います。
過去の私たちは、国を挙げて戦争への道を押し進んだ。それは私たちの選択でした。今は全くそうは見えないけれど、見えない形で落とし穴に進んでいるのかもしれない。
いつも一歩引いて、これでいいのかと考えていきたい。
民進党はやはり食わせ物でした。すべての期待を裏切って、自民党の補完勢力である党へ合流しようとしている。みんな同じムジナだったのか。みんなで私たちの心をもてあそび、夢を見させ、絶望させ、あやしい希望や夢をふりまく。
いつも私たちはだまされてしまうようです。
何度もだまされ、ごまかされ、煮え湯を飲まされ、バカにされ、コケにされても、負けないで、慎重に選び、自分たちの進む道を決めていきたいです。
これからもだまされるでしょう。でも、勇気を持って後戻りできるようにしたいです。