今日聞いてきたことを書こうと思います。
今の若い人たち、二十代、三十代の人々、この人たちは「スカートめくり」というのをしてこなかったという話を今日聞いたんですよ。信じられなかった。
それを聞いてビックリしたんです。私の小学校の頃、その遊びはフツーにありました。○○ちゃんのスカートをだれがめくる? とか、××ちゃんのスカートはめく(ら)れないという不文律があったり、よくはわからなかったけれど、小学生の必須の遊びだと思っていました。
その遊びは、必然的なもので、必要悪というのか、教室で話し合いのテーマになるくらいの大きな問題になることもあったような記憶もありますが、たいていは笑って済ませる、どうしようもない遊びであるような気がしていました。
けれども、少しずつその問題性や、その遊びが女子に与える心理的ダメージ、男子にめばえるやましい心などがあり、しばしば取り上げられ、少しずつ遊びとしては排除されていき、いつの間にかなくなっていったのかもしれません。
その代わりに、自分から見てみてよというくらいの、恐ろしいミニスカートが流行り、男の子たちは精気を失い、女子に無関心にならざるを得なくなり、スカートめくりという、少し屈折した遊びは下火になりました。そして、誰もやらなくなったし、そういうことが昔行われていたなんて、誰も思わなくなっているでしょう。
私がガキだったころ、永井豪さんの「ハレンチ学園」というマンガがありました。週刊のマンガに出ていたはずだから、子どもたちはドキドキしながら読んでいたのだと思います。私は本は買えなかったから、立ち読みか、だれかのところで読ませてもらうか、いろんな形で見ていたのだと思われます。
よくは憶えていませんが、なんでもありの学園世界でした。きれいな女の子たち、ぱっとしない野郎ども、変な先生たち、みんながおかしな世界を繰り広げていた。でも、ほんわかとした男女が楽しくしている世界(男子にとっての理想世界?)は、反社会的なこともあったのかもしれないけれど、人気のある作品であったのは確かです。
最後の方は、先鋭化して、学園が独立というのか、独自の世界として独り立ちしていこうとするような70年代的なテーマをもって進んでいったように記憶していますが、まちがった記憶かもしれません。
とにかく、ハレンチ学園は、スカートめくりに興じる私たちクソガキを後押しする強力な精神的な支柱でもあった気がします。そのマンガもいつか終了し、世の中はそれから少しずつ常識的なものが幅をきかす、窮屈な世界が推進されていったのかもしれません。
少しでも経済を発展させ、世の中のためになることをして、家族の幸せを考え、豊かな日本を作る、ということで何十年も進んできたようです。
みんなが真面目になり、70年代からしばらくは存在した、世の中からドロップアウトすることを第一義とするヤンチャ系の男たち(ヤンキー)の人たちも、とうとう今の世の中では姿を消してしまいました。みんなが真面目に自分の生活を築くことを最優先させている。
スカートめくりは滅び、ヤンキーもいなくなり、まじめな若者と、そこからはずれた一部の若者という二極化が進んだというところでしょうか。
スカートめくりは古典的な遊びではなかった、ということには今日の夜気づいたところです。その昔は、ひらひらスカートというものはこの世に存在していなかった。みんなズボン状のものを着て、機能的ではない、装飾的なスカートは必要悪であった。
ところが、少しずつ世の中も豊かになり、その頂点のアメリカでは、60年代になる前、マリリン・モンローという、装飾的で、実務的ではない、情感豊かな女優さんが現れます。彼女は、女はテキパキ仕事するのもいいけれど、もっとゆったり、おもしろおかしく、世の中を楽しく生きていこうと、スクリーンの中から訴えていたような気がする。
本人はいたって真面目な人だけれど、仕事で少し扇情的な役回りを持たされることがあって、そのことが彼女を苦しめ、やがて悲劇へとつながっていったのだから、時代の先端を行く人の苦しみを抱えていたんだと、今となっては言えますね。
そんな彼女が、あろうことか、あられもない姿を「七年目の浮気」で見せてくれて、その奔放さに心打たれた人々の感動が、70年代の日本にまで広がり、「スカートめくり」という遊びを生み出していったのではなかったか……。
時代の変化で、そうした遊びは廃れたけれど、70年代の男の子たちはその楽しみ・雰囲気を憶えていたんでしょうね。
うまくまとまっていません。
明日もう一度読み直して、書き直そうと思います。すごい発見だと思ったんですけどね。