今から思うと、どうして利き酒をしなかったのか、不思議です。でも、その時はそういう気分じゃなかった。香川県の金比羅さんの門前町でも、古い酒蔵が公開されていましたけど、やはりここでもお酒を飲ましてもらわなかった。
どういうノリだったんだろう。そういう気配は全くありませんでした。飲みたいとも思わなかったし、買いたいとも思わなかった。まあ、私は日本酒派ではないので、最初から腰は引けています。それを乗り越えさせるには魔法が必要でした。
どちらかというと、しっとりしていないと、私は乗れないみたいで、今回の坂越の酒蔵さんは、ものすごくたくさんのお客さんと家族連れがいっぱいでガチャガチャしていて、お酒を飲ませてもらおうという気分にはなれなかったんですね。金比羅さんの時もそうでした。町全体が騒然となっていましたっけ。
そうか、利き酒はしっとりした雰囲気でやりたいよな。
また、いつか訪れるチャンスがあれば、乙女でも、忠臣蔵でも飲んでみたいな。
町は、小さな峠をはさんでその細い道の左右に開けています。その道沿いの家のウラは、また山へと連なっている。ほんとに奇跡的に坂が開け、それが海につながっているようでした。海運で開けた町がそこにあります。
菅原道真さんや、その他大勢の人々が往来した港町です。そこがなんとも魅力的で、こうしてこの海のネットワークは、山陽道であればずっと鞆の浦、尾道、広島、柳井などを経由して下関まで続きます。四国では、鳴門のところから高松を経由し、金比羅さんの地元の港があり、松山につながり、そこからは北と南に広がっていく。
そうした海の広がりのささやかな接点として、この港町があるようです。その存在を私は五十数年まったく知りませんでした。この年になって今さらながら、ああ、坂越(さこし)という町があったのか、とおっかなびっくりで訪れている。それも、全く偶然に駅の案内板が目に入ったので、来てみたというところでした。
それらしい写真を撮ろうとして路地に入ってみました。そうしたら、なあんだ昔自分たちが遊んでいた大阪の実家の景色もこんなだった、あそこにタイムスリップしただけであって、私としてはそんなに新鮮みがあるわけではなかったのだ、と気づきました。
私は、こうした街角で小さい頃を過ごした。それらの街並みは、今はツルンとしたこぎれいな感じにはなってしまっているし、ちっとも心揺さぶられないのだけれど、私の小さい頃の町のようなところは、今も日本のどこかに残っているのだ。そこにたまたま私は来てしまった。
もっと素直に感動すればいいんだろうけど、ものすごい既視感で、感動も吹っ飛んでしまいました。
小さな峠を越えて、海に出ました。坂道の真正面に小さな島があります。あまりに出来過ぎの瀬戸内の風景です。ザンネンながら小舟はないけど、かわいらしい海の町です。
町の集会所というのか、会合する場所なのか、お殿様も宿泊したという会所あとが公開されています。
そこから海も見えますが、かなり埋め立てられて、海は遠ざかってしまっている。
夕方になり、会所も閉められ、帰宅時間も迫ってきたことであり、もう少し海沿いを歩きたかったけれど、今回はここまでにして、いつか奥さんと来れたら、瀬戸内の夕暮れをどういうふうに歩く? とか考えながら、駅までとことこ歩くのでした。もちろん次はクルマで来ようと思ったんですけど、さあ、どうなることか……。