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孔子さんは、ただの説教じじいではありません。本当にことばの端々から、真面目に何かに取り組もうとする方なのです。だから、ものすごいお弟子さんたちが、孔子さんのまわりで、孔子さんがおっしゃる1つひとつのことばを聞き漏らすまいと必死になるのです。
グーのブログでいつもトップ3に入っているもの、あれはよくはわかりません。私は2、3回見てみましたが、どうしてこれがトップ3なのか、何だかグーのブログのランキングもあやしいものだなといつも思っています。
でも、そんな人たちばかりではなくて、まじめにコツコツやっておられる方はいっぱいいて、みんなランキングはたいしたことはないけれど、懸命に発信しておられる。そういうのをキャッチすることは、私たちにとってはしあわせになるのかなと思ったりします。
私のブログは、孔子さんを取り上げると、なんだか説教くさくはなりますが、できれば孔子さんはそんな人じゃなくて、ものすごく真面目なおじいちゃんで、そのことばから現代に生きる指針を見つけたいなと思うのです。
上手に取り上げられたらいいんですけど……。その真面目さのあらわれが15番です。こんなことを平気で言える大人に私は出会ったことはありません。ぜひ会いたいですね。
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◇ 空欄に適切な漢字一字を書いてください。
15【学は及ばざるが如くするも猶おこれを( )わんことを恐る】……学問は追いかけても、追いかけても、追いつけないばかりか、それでもなお、目標を見○いがちな心配がある。〈泰伯〉
16【( )ぶに如かざるなり】……孔子さんにとって大切なものはこれしかありませんでした。孔子さんにとって大切なものは?
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まさにその通りです。私なんか、あまりに遠すぎて逆にあきらめてしまうタイプですけど、孔子さんは、追いかけて追いかけて、手が届くかというところですぐに見失いがちになるのだよとおっしゃるのです。
弟子としてそんなおことばを聞いたら、「先生、その追いかけておられるモノって、何ですか? 私も一緒に追いかけさせてください。お供します。」と言いたくなります。
そうしたら、先生はニッコリとして、「君は何を求めているんだい」とおたずねになるでしょう。
そうしたら、私は「ハイ、先生と同じモノを求めているつもりです」と答えます。
先生は「私の求めているモノは何かわかるね」と確認されるでしょう。
私は「ハイ、学問や人生や政治だと思います」と答えます。
先生は、「そうだね。そういうことにしておこう。また、いつか一緒に探そう。私は、自分の研究があるから、1人にさせてくれないか」のおことばを残されて、他のお弟子さんのところへ行かれるでしょう。
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私は、先生におすがりして、何かを求めようとしているようです。私自身が何かをもとめているのではなくて、先生の探されているものを一緒に探すふりをして、先生の求めておられることを探るんだと思われます。
私自身は、何を求めているのか、自分でもはっきりしていないようです。そんなお弟子さんではダメですね。
本人が何も求めていないのに、わざわざ答えを与える必要はありませんし、たとえそれが答えであっても、本人が求めていなかったら、それは答えにはなりません。たくさん答えはあるのだと思われますが、それは本人の求め方次第なのです。
私なら、答えがあっても見つからない。孔子先生は、どんどん疑問がふくらみ、常に求めるモノが広がっていく。この姿勢がないとダメですね。私は安心してしまうから、答えがあるような気がしてしまうから、まるで疑問がふくらみません。お腹いっぱいでハイ、終わりですね。そんなヤツは弟子としても失格ですし、ことばをかける必要もないくらい、求めるモノがないです。ああ、求めるモノって、私にはあるんでしょうか。……この悩み深いブログはまた低迷するんですね。
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16番はとても明快で楽しいです。「吾かつて終日食らわず、終夜寝(い)ねず、以て思う。益(えき)無し。学ぶに如かざるなり」〈衛霊公〉……やはり先人の残したことを学び、それを手本とすることにこしたことはないことがわかったと述べておられます。
そうです。さも、何かに迷っているフリをしたり、ユーウツな顔をしたり、一晩中眠れなかったりすることは、たまにありますが、そんなことはたいてい意味のないことで、できればその事柄を解決するために努力する、それが学ぶということで、それ以外に悩みを解決する方法はないのだから、家で閉じこもって悩んでいないで、現地へ足を運んで、そこでどうすればいいか考え、汗をかくこと、それが学ぶことであり、意味のあることなのです。
ぜひ、そういう人生を歩いて行けたらと思います。でも、たいていふてくされて悶々としている方が、私は多いです。それは益のないことだとつくづく思います。
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★ 答え 15・失 16・学
グーのブログでいつもトップ3に入っているもの、あれはよくはわかりません。私は2、3回見てみましたが、どうしてこれがトップ3なのか、何だかグーのブログのランキングもあやしいものだなといつも思っています。
でも、そんな人たちばかりではなくて、まじめにコツコツやっておられる方はいっぱいいて、みんなランキングはたいしたことはないけれど、懸命に発信しておられる。そういうのをキャッチすることは、私たちにとってはしあわせになるのかなと思ったりします。
私のブログは、孔子さんを取り上げると、なんだか説教くさくはなりますが、できれば孔子さんはそんな人じゃなくて、ものすごく真面目なおじいちゃんで、そのことばから現代に生きる指針を見つけたいなと思うのです。
上手に取り上げられたらいいんですけど……。その真面目さのあらわれが15番です。こんなことを平気で言える大人に私は出会ったことはありません。ぜひ会いたいですね。
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◇ 空欄に適切な漢字一字を書いてください。
15【学は及ばざるが如くするも猶おこれを( )わんことを恐る】……学問は追いかけても、追いかけても、追いつけないばかりか、それでもなお、目標を見○いがちな心配がある。〈泰伯〉
16【( )ぶに如かざるなり】……孔子さんにとって大切なものはこれしかありませんでした。孔子さんにとって大切なものは?
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まさにその通りです。私なんか、あまりに遠すぎて逆にあきらめてしまうタイプですけど、孔子さんは、追いかけて追いかけて、手が届くかというところですぐに見失いがちになるのだよとおっしゃるのです。
弟子としてそんなおことばを聞いたら、「先生、その追いかけておられるモノって、何ですか? 私も一緒に追いかけさせてください。お供します。」と言いたくなります。
そうしたら、先生はニッコリとして、「君は何を求めているんだい」とおたずねになるでしょう。
そうしたら、私は「ハイ、先生と同じモノを求めているつもりです」と答えます。
先生は「私の求めているモノは何かわかるね」と確認されるでしょう。
私は「ハイ、学問や人生や政治だと思います」と答えます。
先生は、「そうだね。そういうことにしておこう。また、いつか一緒に探そう。私は、自分の研究があるから、1人にさせてくれないか」のおことばを残されて、他のお弟子さんのところへ行かれるでしょう。
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私は、先生におすがりして、何かを求めようとしているようです。私自身が何かをもとめているのではなくて、先生の探されているものを一緒に探すふりをして、先生の求めておられることを探るんだと思われます。
私自身は、何を求めているのか、自分でもはっきりしていないようです。そんなお弟子さんではダメですね。
本人が何も求めていないのに、わざわざ答えを与える必要はありませんし、たとえそれが答えであっても、本人が求めていなかったら、それは答えにはなりません。たくさん答えはあるのだと思われますが、それは本人の求め方次第なのです。
私なら、答えがあっても見つからない。孔子先生は、どんどん疑問がふくらみ、常に求めるモノが広がっていく。この姿勢がないとダメですね。私は安心してしまうから、答えがあるような気がしてしまうから、まるで疑問がふくらみません。お腹いっぱいでハイ、終わりですね。そんなヤツは弟子としても失格ですし、ことばをかける必要もないくらい、求めるモノがないです。ああ、求めるモノって、私にはあるんでしょうか。……この悩み深いブログはまた低迷するんですね。
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16番はとても明快で楽しいです。「吾かつて終日食らわず、終夜寝(い)ねず、以て思う。益(えき)無し。学ぶに如かざるなり」〈衛霊公〉……やはり先人の残したことを学び、それを手本とすることにこしたことはないことがわかったと述べておられます。
そうです。さも、何かに迷っているフリをしたり、ユーウツな顔をしたり、一晩中眠れなかったりすることは、たまにありますが、そんなことはたいてい意味のないことで、できればその事柄を解決するために努力する、それが学ぶということで、それ以外に悩みを解決する方法はないのだから、家で閉じこもって悩んでいないで、現地へ足を運んで、そこでどうすればいいか考え、汗をかくこと、それが学ぶことであり、意味のあることなのです。
ぜひ、そういう人生を歩いて行けたらと思います。でも、たいていふてくされて悶々としている方が、私は多いです。それは益のないことだとつくづく思います。
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★ 答え 15・失 16・学