梅雨らしい天気がつづいて、台風8号もやってきます。今週の前半はずっと雨の予報が出ています。そして、今も雨が降り続いています。
日曜の夜が更けていきます。本来なら、野球の結果をチェックして、フトンに入って寝るというパターンです。でも、今日は頭のまわりをサンパツしてもらって、気分サッパリになったのはいいですが、お風呂に入る時間が遅くなって、本当は寝なきゃいけないし、締め切った室内は少しムシムシするし、蚊が1匹すばしっこいヤツが家の中に入り込んでいて、落ち着きません。
さて、というわけで、日曜の夜といえば、日曜洋画劇場とNHKの大河ドラマと、もっと昔は、ウルトラマンとか、そんなのがあったりしましたが、その大河ドラマは、私は4つしか見ていません。
1から3までは3年連続で見ました。1972年の「新平家物語」では、平清盛を仲代達也さんが演じておられました。今も仲代さんは元気で演劇活動をされていますが、今から40年前に、清盛の青年時代から晩年までを見事に演じ分けておられました。ドラマでは古語をしゃべっていて、当時の私はよく理解できたもんだと、1度懐かしのテレビ番組みたいなので見て感心したものでした。
続いて「国盗り物語」では、斎藤道三を平幹二郎さん、織田信長を高橋英樹さん、明智光秀を近藤正臣さん、豊臣秀吉を火野正平さんが演じていました。メンバーみんな元気で、大河ドラマが大好きになったものでした。日曜の8時から見て、満足したものの、土曜のお昼の再放送も学校から帰ってもう1度見たりする、少し歴史好きの中学生だったのですね。この時に初めて司馬遼太郎さんを読み、小遣いを文藝春秋の司馬遼太郎全集につぎこんだりして、変なことしていたものですね。それらはすべて売り飛ばしてしまったけれど、文庫で司馬遼太郎さんはいくつか今も持っています。「空海の風景」とか、「峠」の上巻だけとか、角川の日本史探訪シリーズだとか……。
折角盛り上がった大河ドラマ熱は、次の「勝海舟」(子母沢 寛)で、少ししぼんで、以後は遠ざかります。でも、それからあと1回だけ、真田広之さんが足利義満を演じた「太平記」の時に、もどって1年間しっかり見て、それから現在までずっとご無沙汰しています。もう、わざわざ見なくてもいい感じなのです。わざわざドラマにしてくれなくても、もう勝手に自分の世界の中で歴史上の人物にいてもらいたい感じで、全く見る気を失っています。そうですね。ドラマにつきあっていく気力がないような気がします。
「勝海舟」は、テーマ音楽の冨田勲さんは好きなので、冒頭の場面からワクワクして見ていました。でも、主役が、渡哲也さんから松方弘樹さんに最初の数回目から代わってしまったのがとてもショックでした。渡さんも松方さんも、当時の私は全く知らなかったわけですが、あまりのキャラの違いについていけなくて、一応最後まで1年間見つづけたはずですが、その違和感はとうとう最後まで続いていました。そんなこんなで大河ドラマを卒業したのかもしれません。
というわけで、伊勢平氏の根拠地は、現在の津市のかなり郊外の土地にあります。海を根拠とした伊勢平氏は、どういうわけか邸宅は、かなり山側に設けたようです。まあ、職住で住み分けるのが当時の生活スタイルだったのか、それとも生活の根拠はもっと海側にあるのだけれど、別荘というか、家族の家としては山側に作り、男どもは海側まで約十キロくらいを通勤したのでしょうか。そして、全く伊勢平氏の栄光が感じられない、ただの芝生と植え込みのある公園で、せめてお寺の址とか、発掘したらすごいのが出できたとか、あればいいのですが、ぼんやりとした平野の一角の公園でした。
聖武天皇さまにしろ、平忠盛・清盛の親子さんにしろ、来るには来たが、生活するには良かったのかもしれませんが、そこで何か落ち着いて取り組もうということはなかったのですね。そういえば、織田信長さんだって、伊賀では忍者の集落とかを攻撃したり、伊勢平野では、北畠氏と戦ったり、その後部下を定着させようとしたり、伊勢の国と関わろうとしたはずですが、そこで本格的に住む気にはならなかったのです。それよりは、岐阜やら、安土城やら、そっちの方が気に入ったらしい。残念ですね。何か魅力ある土地であればよかったんですけど……。残念です。でも、忠盛さんは、お話しは残ってないけど、この伊勢の国に生まれ、その空気を吸ってたんだろうなと思うと、少しだけうれしくなります。大河ドラマでは、歌舞伎系の役者さんが演じておられたのかなあ。
★ 長谷山に抱かれるような公園に産湯の址の石碑は立てり
★ 伊賀のみち 忠盛塚に 梅雨の雲
★ ねじ花や 忠盛塚の 草深し
★ 夏草や 忠盛京へ舟で行く
★ 青田波 忠盛塚は 島となる
以上、とってつけた俳句と短歌でした!
日曜の夜が更けていきます。本来なら、野球の結果をチェックして、フトンに入って寝るというパターンです。でも、今日は頭のまわりをサンパツしてもらって、気分サッパリになったのはいいですが、お風呂に入る時間が遅くなって、本当は寝なきゃいけないし、締め切った室内は少しムシムシするし、蚊が1匹すばしっこいヤツが家の中に入り込んでいて、落ち着きません。
さて、というわけで、日曜の夜といえば、日曜洋画劇場とNHKの大河ドラマと、もっと昔は、ウルトラマンとか、そんなのがあったりしましたが、その大河ドラマは、私は4つしか見ていません。
1から3までは3年連続で見ました。1972年の「新平家物語」では、平清盛を仲代達也さんが演じておられました。今も仲代さんは元気で演劇活動をされていますが、今から40年前に、清盛の青年時代から晩年までを見事に演じ分けておられました。ドラマでは古語をしゃべっていて、当時の私はよく理解できたもんだと、1度懐かしのテレビ番組みたいなので見て感心したものでした。
続いて「国盗り物語」では、斎藤道三を平幹二郎さん、織田信長を高橋英樹さん、明智光秀を近藤正臣さん、豊臣秀吉を火野正平さんが演じていました。メンバーみんな元気で、大河ドラマが大好きになったものでした。日曜の8時から見て、満足したものの、土曜のお昼の再放送も学校から帰ってもう1度見たりする、少し歴史好きの中学生だったのですね。この時に初めて司馬遼太郎さんを読み、小遣いを文藝春秋の司馬遼太郎全集につぎこんだりして、変なことしていたものですね。それらはすべて売り飛ばしてしまったけれど、文庫で司馬遼太郎さんはいくつか今も持っています。「空海の風景」とか、「峠」の上巻だけとか、角川の日本史探訪シリーズだとか……。
折角盛り上がった大河ドラマ熱は、次の「勝海舟」(子母沢 寛)で、少ししぼんで、以後は遠ざかります。でも、それからあと1回だけ、真田広之さんが足利義満を演じた「太平記」の時に、もどって1年間しっかり見て、それから現在までずっとご無沙汰しています。もう、わざわざ見なくてもいい感じなのです。わざわざドラマにしてくれなくても、もう勝手に自分の世界の中で歴史上の人物にいてもらいたい感じで、全く見る気を失っています。そうですね。ドラマにつきあっていく気力がないような気がします。
「勝海舟」は、テーマ音楽の冨田勲さんは好きなので、冒頭の場面からワクワクして見ていました。でも、主役が、渡哲也さんから松方弘樹さんに最初の数回目から代わってしまったのがとてもショックでした。渡さんも松方さんも、当時の私は全く知らなかったわけですが、あまりのキャラの違いについていけなくて、一応最後まで1年間見つづけたはずですが、その違和感はとうとう最後まで続いていました。そんなこんなで大河ドラマを卒業したのかもしれません。
というわけで、伊勢平氏の根拠地は、現在の津市のかなり郊外の土地にあります。海を根拠とした伊勢平氏は、どういうわけか邸宅は、かなり山側に設けたようです。まあ、職住で住み分けるのが当時の生活スタイルだったのか、それとも生活の根拠はもっと海側にあるのだけれど、別荘というか、家族の家としては山側に作り、男どもは海側まで約十キロくらいを通勤したのでしょうか。そして、全く伊勢平氏の栄光が感じられない、ただの芝生と植え込みのある公園で、せめてお寺の址とか、発掘したらすごいのが出できたとか、あればいいのですが、ぼんやりとした平野の一角の公園でした。
聖武天皇さまにしろ、平忠盛・清盛の親子さんにしろ、来るには来たが、生活するには良かったのかもしれませんが、そこで何か落ち着いて取り組もうということはなかったのですね。そういえば、織田信長さんだって、伊賀では忍者の集落とかを攻撃したり、伊勢平野では、北畠氏と戦ったり、その後部下を定着させようとしたり、伊勢の国と関わろうとしたはずですが、そこで本格的に住む気にはならなかったのです。それよりは、岐阜やら、安土城やら、そっちの方が気に入ったらしい。残念ですね。何か魅力ある土地であればよかったんですけど……。残念です。でも、忠盛さんは、お話しは残ってないけど、この伊勢の国に生まれ、その空気を吸ってたんだろうなと思うと、少しだけうれしくなります。大河ドラマでは、歌舞伎系の役者さんが演じておられたのかなあ。
★ 長谷山に抱かれるような公園に産湯の址の石碑は立てり
★ 伊賀のみち 忠盛塚に 梅雨の雲
★ ねじ花や 忠盛塚の 草深し
★ 夏草や 忠盛京へ舟で行く
★ 青田波 忠盛塚は 島となる
以上、とってつけた俳句と短歌でした!