奥さんは、私を置いてさっさと散歩に出かけました。ただ、毎日フラフラになる夫は心配なのか、「水分が足りないんだよ」と手の甲をつねって「水分不足だから、皮膚のもどりが遅い! ほらね!」と教えてくれて、お茶だけは飲ませてくれました。
ひな鳥じゃないんだから、自分のことは自分でしなきゃいけないのに、いつの間にか彼女に依存しています。訳も分からずに暴走するから、気づいたらフラフラになってたりする。何だか父もそういうところがありました。ちゃんと分かってはいるつもりなのに、体がやりたいことを許してくれなくて、気づいたら座り込んでしまう、ということがありました。
自分の体なのに、自分の体を維持していく、うまく付き合うというのは意外と難しい。いや、自分というものをつかまえることはなかなかできないものなんでしょう。そして、自分というものはワクが決められている。身長二メートルとか、体重二百キロとか、100mを10秒で走るとか、できないことがいっぱいです。自分というワクは、自分でつかまないと! できてないですね。
私は、北川民次という画家に名古屋で出会って来ました。最近のことです。2019年の夏に、カゴメの旧本社ビル一階のタイル絵、中部日本放送・CBC社屋のタイル絵などを見てきました。
去年の7月には、疎開した奥さんの実家の瀬戸市でアトリエや、作品があるということだから、初めて藤井聡太くんのふるさとの瀬戸市にも行かせてもらいました。
瀬戸市美術館で北川民次さんの作品も見せてもらいました。
今年の夏は、7月の4日に名古屋市美術館で見てきたんだった。ものすごい情熱で見に行こうとしていました。うちの奥さんは、メキシコつながりの作品って、そんなに興味はないみたいでした。
今日、もう一度ナゴヤに行ってみます。名古屋までの回数券(4枚つづり)を買ったので、期限は1ヶ月だから、期限切れになる前に行ってみます。
何をするやら、大したことはしませんけど、とりあえず行ってみます。何か楽しいことを見つけられたらいいけど、都会は私の気持ちがとっかかる部分がなくなっています。どうしてなんだろうね。
すぐに疲れてしまうからかな。それはあります。それから、やはり馴染みもないから。行きたいところを決めてないと、どこを歩いていいのかわからなくなるから。そして、都会は何だかキレイキレイになっています。ごちゃごちゃとしたところがないし、みんな忙しそうです。
何か見つけられるでしょうか? そりゃ、いろいろと見つかるかもしれないな。そう思って行ってきます。