たまたまなのか、運命の必然なのか、発電所の近くに住んでいたことがありました。今も気になる東京電力さんが運営する発電所です。
まさか電力会社さんがこんなに暴力的で権力的なのだ、という今のイメージは全くなくて、単純に好きな風景でした。
火力発電所にしろ、水力発電所にしろ、圧倒的な存在で、見ただけでゾクゾクとなるような、なんともいえない大きなものですね。だから、ピンクフロイドの人たちだって、レコードのジャケットに使うくらいです。みんなのあこがれのような、それなのに何だか近寄りがたい、そういう存在でした。
「アニマルズ」って、友だちに借りて、カセットテープに入れて、延々と聴いたりしましたけど、どんな曲が入ってたかなあ。あんまり印象にないですね。それでも、私の気分はプログレだったんですけどね。
とにかく、人とは違うんだ、私は私、天上天下唯我独尊の高踏的気分(オレ様気分)の時には、何だか聴いていたくなる感じでした。まあ、ヒマだったんでしょう。
いや、そうじゃないなあ。そういう気分に浸りたい瞬間があったんです。だれもがそういう気分の時って、あるんだと思います。
発電所は、桜の名所だったそうです。歩いてすぐのところにありましたが、ここで花見をした記憶はありません。ここは発電施設だから、立ち入り禁止で、だれも入れないようになっていたのではないかと思います。
だから、見上げるか、遠くからながめるか、バッサリとあきらめて一切見ないかで、私は折角の名所なのに、花見をしたことがありません。今と違って、昔は花見なんか興味がなかった、ということもあるかもしれない。
花見に特別な思い入れを重ねるのは、やはり中高年だけなんでしょう。どこそこで、どんなサクラを見たのか、それら1つひとつが、鮮やかな記憶になっていくんです。毎日はぼやけてフラフラだけど、特別な思い出だけは大事にしまって、折に触れて取り出しては、ため息なんかつくのでしょう。
それが中高年というものなのかもしれません。私も、知らない間に中高年になってしまって、いつまでもエバーグリーンで行こう! というスローガンを持ってたことが懐かしいくらいです。
この前、たまたま火野正平さんの「こころ旅」で、発電所がチラッと見えて、ああ、あんなとこに昔住んでたなあと思い出したんです。
岡鹿之助さんは、十代の頃から知っていて、気になる画家さんだったのだと思います。そして、気づいてみれば、自分もその風景の中にいたなんて!
そして、ある時たまたま、知人からバイトの誘いを受けて、その発電所から流れる水路の掃除に出かけました。暗いトンネルをずぶ濡れになってやるようなハードなものではなくて、水が抜いてある水路のコケを道具でずっと落とし続ける仕事でしたっけ……。これもあまり記憶がありません。
とにかく、水のない水路で、今ならミスがあって、水が突然放流され、押し流されるとか、暗いイメージが先に立ってしまうけれど、当時は全く何も考えず、?千円儲けたいという単純な気持ちで、黙々とコケ取りをしました。
そんなことがあったんですね。今は、何もしないオッチャンになったけど、昔はわりとガムシャラに金儲けしたい気持ちがあったんです。
まあ、学生だったから、普段の生活はまるでお金にならないことばかりだから、罪滅ぼしでバイトの時はガリガリ亡者になったんでしょう。
バイトの時は、ピンクフロイドのようなプログレッシブだったんです。わかるかなあ。自分でもイマイチわかりにくいけど、まあ、そんな感じです。……説明不足ですなあ。
まさか電力会社さんがこんなに暴力的で権力的なのだ、という今のイメージは全くなくて、単純に好きな風景でした。
火力発電所にしろ、水力発電所にしろ、圧倒的な存在で、見ただけでゾクゾクとなるような、なんともいえない大きなものですね。だから、ピンクフロイドの人たちだって、レコードのジャケットに使うくらいです。みんなのあこがれのような、それなのに何だか近寄りがたい、そういう存在でした。
「アニマルズ」って、友だちに借りて、カセットテープに入れて、延々と聴いたりしましたけど、どんな曲が入ってたかなあ。あんまり印象にないですね。それでも、私の気分はプログレだったんですけどね。
とにかく、人とは違うんだ、私は私、天上天下唯我独尊の高踏的気分(オレ様気分)の時には、何だか聴いていたくなる感じでした。まあ、ヒマだったんでしょう。
いや、そうじゃないなあ。そういう気分に浸りたい瞬間があったんです。だれもがそういう気分の時って、あるんだと思います。
発電所は、桜の名所だったそうです。歩いてすぐのところにありましたが、ここで花見をした記憶はありません。ここは発電施設だから、立ち入り禁止で、だれも入れないようになっていたのではないかと思います。
だから、見上げるか、遠くからながめるか、バッサリとあきらめて一切見ないかで、私は折角の名所なのに、花見をしたことがありません。今と違って、昔は花見なんか興味がなかった、ということもあるかもしれない。
花見に特別な思い入れを重ねるのは、やはり中高年だけなんでしょう。どこそこで、どんなサクラを見たのか、それら1つひとつが、鮮やかな記憶になっていくんです。毎日はぼやけてフラフラだけど、特別な思い出だけは大事にしまって、折に触れて取り出しては、ため息なんかつくのでしょう。
それが中高年というものなのかもしれません。私も、知らない間に中高年になってしまって、いつまでもエバーグリーンで行こう! というスローガンを持ってたことが懐かしいくらいです。
この前、たまたま火野正平さんの「こころ旅」で、発電所がチラッと見えて、ああ、あんなとこに昔住んでたなあと思い出したんです。
岡鹿之助さんは、十代の頃から知っていて、気になる画家さんだったのだと思います。そして、気づいてみれば、自分もその風景の中にいたなんて!
そして、ある時たまたま、知人からバイトの誘いを受けて、その発電所から流れる水路の掃除に出かけました。暗いトンネルをずぶ濡れになってやるようなハードなものではなくて、水が抜いてある水路のコケを道具でずっと落とし続ける仕事でしたっけ……。これもあまり記憶がありません。
とにかく、水のない水路で、今ならミスがあって、水が突然放流され、押し流されるとか、暗いイメージが先に立ってしまうけれど、当時は全く何も考えず、?千円儲けたいという単純な気持ちで、黙々とコケ取りをしました。
そんなことがあったんですね。今は、何もしないオッチャンになったけど、昔はわりとガムシャラに金儲けしたい気持ちがあったんです。
まあ、学生だったから、普段の生活はまるでお金にならないことばかりだから、罪滅ぼしでバイトの時はガリガリ亡者になったんでしょう。
バイトの時は、ピンクフロイドのようなプログレッシブだったんです。わかるかなあ。自分でもイマイチわかりにくいけど、まあ、そんな感じです。……説明不足ですなあ。