今から十年前、ボクは兵庫県の浜坂駅にいました。といっても、ほんの一瞬です。鳥取駅から始発に乗って、浜坂にたどり着いた。目的地の餘部鉄橋は二つ先にあります。でも、そこへすぐに行く電車はなかった。ああ、ディーゼルですけど……。
仕方なしに、ほんの小一時間、駅周辺をブラブラしました。駅前の売店みたいなところは朝早いのに開いてました。何か食べるものを買おうと思ったけれど、食べられそうなものはなかった、気がします。もっとコンビニ的な、簡便な食べ物、菓子パンとか、オニギリとか、そういうものが欲しかったんでしょう。でも、そういうのはなくて、何も手を出せない感じがした。
駅前通りを北に歩いてみました。それなりに街にはお店やら、おうちが立ち並んでいます。おそらく駅周辺はにぎやかな時もあったはずです。今でもにぎやかだったのか、とにかく、朝が早いから、それに正月の三日だったと思うので、そんな三が日の朝、ノコノコ目的もなく駅をうろつく人はいませんでした。
「夢千代日記」の湯村温泉も近いはずなんだけど、そこはバスに乗っていかなきゃいけないみたいで、バスもまだ出ていませんでした。お客も、ほんの少しで、みんな駅を出て、どこかへ消えてしまった。
そう、ボクよりも少し年上の(?)鉄道のオヤジはいたけど、そのオヤジさんは、まだ駅のところでモタモタしてたかな。
そう、あのオヤジが駅前の売店にいたから、そんなのと同列にされるのがイヤで、お店を出てきたような気もするな。オタクのくせに、オタク仲間が嫌いだなんて、なんてワガママで、自分勝手なワタシなんでしょう。
前にも書いたけど、ここはボクの学生のころ、「さゆりちゃん」とあだ名をつけてた子のふるさとでした。そこへ三十何年してやっとたどり着いたボクでした。
別に彼女を探しているわけではなくて、ただの乗り継ぎで降りただけ、そして、あいにくの雨、そんなに寒くはなかった。鳥取の街は雪まみれだったのに、こちらには雪はなかった。
ここからもうしばらくいくと、もう一人、吹奏楽団のマドンナだった女の子のふるさとの香住の街もある。
どうして、こうした日本海の街から、はるか遠い街のガッコーへ彼女たちは旅立ったんだろう。この駅から、どんな思いを抱いて出て行ったのか。それはボクも同じだから、みんな、いろんな夢を抱いて、ふるさとを後にしたはずなんだけど、日本海の街の、冬の風景の中で、今も彼女たちの思いはどこかにあるのか、知りたかったんだと思う。
もちろん、そんなものはどこにもなくて、ただ、しんみりとした街があるだけです。本当ははなやかなところとか、楽しいお祭りとか、学生たちがあふれてたりとか、そういう時もあるのだろうけど、何しろ1月の3日の朝でしたので、すべては眠っている感じでした。
ボクは興味本位でフラフラしているだけ、一方的な思い入れで見ているだけでした。
そう、そんなヤツは早く出て行けばいい。鉄道のオタクには感傷は要らない。さっさと撮影スポットに行き、好きな写真を撮ればいいだけだった。
そんなボクですから、何も見えるわけがないし、何も感じられるわけはない。ただ、何も見つからず出ていくだけだった。