甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

あさか山 おくのほそ道ふたたび!

2020年08月13日 13時38分49秒 | 芭蕉さんの旅・おくのほそ道ほか

 今日も、猛暑日になるという話ですが、やれるだけやっておくことにしました。もう季節関係なしでとにかくグルッと大垣まで行かなくては! この夏、どこまで行けるか分かりませんけど、うちの奥さんのふるさと岩手までは行きたいです。

 いや、行けなくても、冬になっても、とにかく歩き続けようと思います。何しろ現実には県外に出てはダメなんですから。そんなこと関係なしに移動している人たちもいるけど、そういう人たちは移動してお金を使ってくれる人だから、ぜひ移動してもらわなくては! シブチンの私はじっと引きこもります。もちろん、ろくな経済活動もしない。これはいつものことですけど……。(本当は、夏は私にとって数少ない移動の季節ではあったんですけど、仕方ありません)

 白河の関を越えて、須賀川(すががわ)の駅長さん(駅長さんって、侍なんだろうか? 商売人? 有力者ですね。お金持ちかな?)をしている等窮さんを訪ねたことになっています。

 夏四月末、ということは現在の初夏から仲夏あたりでしょうか。最近の日本は春とか、秋とかがなくなって、四月半ばから十月初めまでずっと夏みたいなもので、ほんの少し秋かと思ったら、どんよりした冬という、四季のない国になってますから、季節感は狂ってしまうけど、とにかく、芭蕉さんは夏の初めの東北・福島にいます。

 等窮(とうきゅう)が宅(たく)を出(いで)て、五里ばかり、桧皮(ひわだ)の宿を離れて、あさか山あり。路(みち)より近し。このあたり沼多し。

 等窮の家を辞してから五里ばかり、桧皮(地名)の宿を出外れて、歌枕に名高い浅香山があります。街道からすぐ近いようです。このあたりはまた「みちのくのあさか沼の花がつみ」の歌のあるように沼が多い地域でした。

 『古今集』を見てみますと、よみ人しらずの歌で、
 「みちのくのあさかのぬまの花かつみかつみる人にこひやわたらん」
というのがあります。「みちのくの遠い国、そこにあさかの沼というのがあって、菖蒲によく似たかつみの花があります。そこで出会う人に恋に落ちるでしょうか」という内容でした。芭蕉さん、『古今集』読んだんでしょうね。

 かつみ刈る比(ころ)もやゝ近うなれば、「いづれの草を花かつみとは云ふぞ」と人〃(ひとびと)に尋ね侍れども、更に知る人なし。沼を尋ね、人にとひ、「かつみかつみ」と尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ。

 東北地方には菖蒲がなくて、かわりに花かつみを刈って軒端にさすころではあるので、「どれが花かつみという草ですか?」と、いろんな人に尋ねてみましたが、知る人はいませんでした。沼があって、そちらで「かつみはどこ、かつみはどれですか?」と尋ねていくうちに、日は山にかかってきました。

 二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福崎に宿る。

 二本松より右に道を取り、黒塚の岩屋を見せてもらい、福崎に宿を取りました。

 この黒塚に関して、『拾遺集』で平兼盛さんが歌を残していて、
「みちのくの安達の原のくろ塚に鬼こもれりといふはまことか」(みちのくの安達が原の黒塚というところに鬼が潜んでいるという話がありましたけど、それはほんとうだったんでしょうか)という内容で、東北地方は都の人にとっては遠いところだったんですね。そこにいけば鬼に出会えるなんて思ってしまうんだから。ある意味ロマンあふれる、はるかな世界でした。あまりに遠いのです。一つずつ、芭蕉さんは歌枕をクリアしなくてはなりませんでした。有名なところは片っ端から行かなくちゃ!

 あくれば、しのぶもぢ摺(ずり)の石を尋ねて、忍ぶのさとに行く。遥か山陰の小里に、石半ば土に埋もれてあり。

 翌日には、しのぶもぢ摺の石を尋ねて、忍の里に行きました。そこでどんな石なのか、自分の目で見たかったんです。山のふもとの小さな集落に、歌に歌われたもぢずり石というのがありました。

 さて、これもまた歌枕です。『古今集』で河原の左大臣・源融(みなもとのとおる)さんが歌っています。
「陸奥(みちのく)の忍ぶもぢずり誰ゆゑに乱れむと思ふ我ならなくに」(みちのくの忍ぶもぢずりという絹織物があるけれど、あの草木染のようなにじみのある乱れ染まっている模様のように、私の心はあなたに恋焦がれています)

 あれ、『百人一首』となんか違う。あっちは「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆへにみだれそめにし我ならなくに」(あなたより他の誰のためにも乱れ染めてしまった私ではないのだ。あなた一人のためなのに)という感じで、こちらの方がなじんでて、いい感じかな?

 里の童部(わらべ)の来(きた)りて教へける、「昔はこの山の上に侍りしを、往来(ゆきき)の人の麦草あらしてこの石を試み侍るをにくみて、この谷につき落とせば、石の面下ざまにふしたり」と云ふ。

 里の子どもが言います。「この石は、昔は山の上にあったんだよ。道行く人たちが、これが有名なもぢ摺石だということで、麦畑を踏み荒らし、草をこの石ですり合わせてみたり、そんなことをしても何にもならないのに、旅の人たちがそんなことをやり過ぎるので、村ではそれが腹立たしくて、石を坂から突き落とし、この石はさかさまになって見えてた方が隠れ、隠れていたところが見えてきた感じになっているんです。」ということだった。

 さもあるべきことにや。
   早苗(さなえ)とる手もとや昔しのぶ摺(ずり)

 さて、そういうことがあったのかどうか。

   苗を持ってきて、田植えをする時に、その苗をいい形で植えこむために、余計なものをはらって、スッと植えるものなんですけど、あの手つきというのは、しのぶ摺をするときの手つきとよく似ているかもしれないなあ。

 かくしてまた一歩、芭蕉さんの道は進むのでした。まだまだですけど。




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