うちの書棚の上の方、とても手が届かなくて、椅子に乗っても取れないところにロシア文学の文庫がズラッと並んでいます。ブックカバーがつけられてて、書名も分かりません。でも、ロシア文学はもう最近は遠ざかっていて、何年も影響はありません。
視界には入るのに、手が届かないなんてね。
その中に、トルストイの「戦争と平和」八巻、ショーロホフの「ひらかれた処女地」四巻があるはずです。
トルストイは、三巻くらいまでは読んだと思うけど、挫折しました。ショーロホフは、書棚に並べて満足していただけでした。
でも、ショーロホフの代表作の「静かなドン」は読んだんですよ。映画だって見に行きました。1957年の映画だけど、ショーロホフ生誕70年記念公開ということで、1976年に映画館で見ました。3時間の映画ですけど、ちゃんと全部見たんだろうか。記憶にないですね。
無理やり、下手の横好きで見に行ったんでしょう。今なら、もう少し評判とかを見て、できれば自宅で見たいはずですけど、若い頃はもう闇雲に見に行った。そして、何も残らないで帰って来たみたいです。
何年もかけて原作を読み、熱い気持ちで映画に臨んでも、結果は何も残らないなんて、若さそのものじゃないですか。若い時に結果を残そうなんて、甘っちょろいことを考えたらダメだ!
それで、読まない本を買い、四十数年ホッタラカシです。何ということでしょう。
岩波文庫の解説目録によりますと、
革命後、立ち遅れていた農業の社会主義化を一挙に推し進めるべく、1927年、中央では農村集団化を決定した。土の匂いと草いきれの立ちこめるコザック地方の農村を舞台に、この時代の激しい移り変わりの渦にまきこまれて露呈する人間の姿を、様々な葛藤を通じて描くショーロホフの大河小説。1960年レーニン文学賞受賞。
そんな作品だったようです。この解説を読んで買ったのではなくて、ショーロホフさんをもっと読んでみようというチャレンジ精神があったんでしょう。
コルホーズなんかに興味があったわけではなくて、人々が時代の流れの中でどんなにして生きていくのか、それを味わってみたい、とか思ってたのかなあ。
でも、見事に私の夢は打ち砕かれ、ずっと眠り続けています。
私たちの気持ちって、ままならないことが普通ではあります。思い通りにならないことをどれだけ受け入れられるか、それが人間としての成長ではないか、と思えるくらいに、私たちは大抵が当て外れなのだと思いたい。
言うなれば、私たちは常に引き裂かれながらも、それを繕いながら生きていかなくてはならないのです。それは、私みたいなつまらないオッサンも、若い希望のある子どもたちも、家族が引き裂かれて過ごさなくてはならないウクライナの人々も、大なり小なりそういうのを抱えていく。
でも、引き裂かれたとしても、再び元に戻りたいというのも、人間としての大事なところでした。だから、会いたい人とはそばにいたいし、家族なら、せめて一緒にいられる時には一緒に過ごしたいのです。それは引き裂いてはいけないし、不自然なのです。
「ひらかれた処女地」は、ロシアの人々に新しい農村を作ることになったんだろうか。何十年も経った今としては、一度開かれたかもしれないけど、農村の社会も変わってきているはずです。
大先輩のトルストイさんの「戦争と平和」は、1965~69年の歳月をかけて描きあげられた小説で、若い頃は、あの広大な世界で生きている人たちに肩入れしたり、自分とは違う世界のこととして楽しんだりしましたっけ。自分とは全く関わりのない世界だけど、何だか興味がありました。テレビでソ連版の映画を淀川長治さんの番組で三週続けてやってくれて、リュドミラさんのファンにはなりました。これも70年代半ばのことでした。
あの冒頭で、ペテルブルグの貴族たちが、毎晩乱痴気騒ぎをしていて、そこで主人公のピエールも何だか目標のない、自分で何がしたいんだかわからなくて、ケンカしたり、決闘したり、無茶を繰り返していましたけど、あの貴族世界の人々、みんながフランス語でおしゃべりをしなくてはならない、そういうルールがありました。
貴族とはいえ、コテコテのロシア人・スラブ民族なのに、どうしてフランス語を気取ってしゃべってたんでしょう。
それがロシアの人々のコンプレックスではなかったのかなあ。19世紀初め、ロシアの貴族の皆さんは、貴族でございとエラぶっても、コンプレックスも抱え、おフランスへ憧れ、引き裂かれながら存在していたんだと思います。
ナポレオンの時代、19世紀の初め、すでにロシア貴族は引き裂かれていた。その流れは、今もロシアの底流になかったかな。どこかでつながってるのではないかと、ド素人の私の当てずっぼですけど、そんなことを思います。
そこから200年、すっかりロシアは、世界の中の大事な国のはずでしたが、その大事な国を引きずりつつも、実は西側におびえ、西側諸国よりも経済規模は小さかったり、エネルギー系だけはやたらにあるけど、ちっとも暮らしは豊かにならず、指導者は不安で、イライラして、強気を見せたとしても、空っぽの気分であったのかもしれません。
それらの気分が高じて、先制権力のプーチンさんは、精神のバランスを失って、よその国の主権を侵してもそれは仕方がないという理屈に踏み込みました。
正気に戻って、よその国を侵略するということは、自国のためにもならないし、よその国には多大な迷惑になるという当たり前のことに戻ってもらえないかな。
彼も引き裂かれている。冷酷な専制君主になってるけど、そこを踏みとどまれないのか。もっともっと引き裂かれてる気持ちをもみ消すために、冷酷な侵略者を続けるのか、どっちなんだろう。
私は、彼はもう元に戻れないところにまで行ってしまったんじゃないか、そう見えてなりません。でも、戻ってきてほしい! 日本のボンクラ総理と遊んであげてた頃に!