昨日の夜、「ブラタモリ」という番組を見て、この日はNHKの放送関連の施設を回って、タモリさんの放送とのつながりを聞かせてもらいました。うちの奥さんは「浅野さんがよくしゃべってるね」という感想くらいで、あまりおもしろくなかったみたいでした。
コロナのせいか、みんな立ち位置を常に気にしていて、対面しない、ずれたところに立つ、横にも並ばない、三人だったら誰かは無言・無表情になるみたいな、バラエティ番組なのにみんなで同時に作り上げてはいけない画面になっていました。
放送博物館の展示物を回るシーンなんかもずっとそうでした。シュールレアリスムの絵みたいな構図・内容になっていました。
私たちは、たったの二年のコロナの嵐の中で、気持ちを抑え、言葉を少なくして、人とは直接関わらない、表面的なつきあいというのを生み出してきたんでしたね。
それを見せてもらいました。実際に、自分も外を歩いているとしたら、人とそんな風に接しています。マスクをしていない人を見たら、恐ろしいものを見たようで、その人は普通の顔であっても、それがオニに見える気がするんだから、恐ろしい習慣を身につけてしまいました。
もう、まともな人との付き合いって、できるんだろうか。何だか不安になってきますね。
昨日、アストロズvsレッドソックスの試合を、9時半から13時半まで4時間ぶっ続けで見てたら、ヒューストンの四万何千人のみなさんは、ほとんどマスクをしていませんでした。
去年はずっと観客を入れないでやってたMLBなのに、今年はもう元に戻ったみたいでした。
うらやましいような、本当に大丈夫なの? という気持ちもあったり、少し複雑でした。結果はアストロズが一勝しました。第二戦はもうやってるかもしれません。
私は、そのあとのブレーブスvsドジャースを見なきゃいけないから、もうアストロズは見ません。
アメリカには日常は戻ったみたいです。でも、外国からアメリカに入る場合は、きちんとしたワクチン証明書、PCR検査が必要なんだそうです。
日本は、そんな厳しい入国管理しているんだろうか。何だか不安です。ナーナーになってないかな。外国人労働者には冷たい仕打ちをするくせに、お金を持ってくる人たちには大手を広げて迎え入れてるんじゃないだろうなぁ。
そんなとこまで私は責任を持てないし、信じるしかないですね。
昨日、「ブラタモリ」のあとで、少しだけ外に歩きに行きました。お月さんを見たかったのに、雲の間からほんの少し見えたり、すぐ見えなくなったり、西の空にポツンと星が見えたり、わりと高いところにあったから、時間も時間だし、金星ではありませんでした。
土曜の夜に、自宅のテラスで焼き肉をしているご近所さんがいて、仲良し夫婦だから、元気におしゃべりしていましたっけ。私たちは、焼き肉の匂いに追われるようにフラフラと星も見えないのに歩いて、それから何もしないで寝たんでしたっけね。
そしたら、夜中に雨になり、今朝は風が吹いていて、それで目が覚めたんでした。
みんな歌なぞ聴いてはゐない
聴いてるやうなふりだけはする
みんなただ冷たい心を持ってゐて
歌なぞどうだってかまはないのだ
たまたま開いた中也詩集にはそんなことが書いてありました。
うつろな感じで存在する隣人たちを描いています。興味がありそうなフリはしてみせる。でも、実はどうでもいいと思っていて、付き合いで言葉だけをかけた程度なのです。しばらくしたら、どこかへ行ってしまう人々でした。
そんなものなのかもしれない。
中也さんは「こんな御都合な世の中に歌なぞ歌はない」と書いてたけど、だからこの詩は未刊詩篇なんだろうけど、今から90年くらい前に、中也さんは書いていました。1935年なんて、戦争に向かって行く世の中だったのかな。
あれ、さっき起きた奥さんは、ひとりで朝の散歩に出かけたみたいです。
なかなか偉いですね。風も吹いてるのに、帽子かぶって靴下はいて、いつものスニーカーで曇り空の中を突っ切って行ったんだ!