寒くなってきました。わりと強い雨ですよ。なのに、仕事に行かなくちゃいけません。辛いね。でも、仕方ないです。あきらめて行きます。帰りにどこに行こう。お金もないから、すぐに帰ってくるのか……。何だかシャクだな。〈これは日曜に書いた記事ですね〉
とうわけで、突然のヴェルレーヌです。雨が降っている時の気分で書きます。
ポール・ヴェルレーヌ「巷(ちまた)に雨の降るごとく」
<堀口大學訳>
巷に雨の降るごとく
われの心に涙ふる。
かくも心ににじみ入る
この悲しみは何やらん?
やるせなき心のために
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!
消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨は涙す。
何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや?
この喪そのゆえの知られず。
ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。
こんな詩を見せられても、スンナリ入ってきませんよ。三連目の最後の「喪」の意味がイマイチわかりません。誰か大事な人が亡くなって、それを悲しもうとしているんでしょうか。
涙と雨、使い古されてきましたね。それでも、たまにはこうしたクラッシックな状況もいいかもしれない。
これだけでは乗り切れませんでした。幸いなことに、金子光晴さんと鈴木信太郎さんの訳がありました。残り二つを読んでみたら、何かつかめるかもしれません。
<金子光晴訳>
「言葉無き恋歌」
巷(ちまた)に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?
やるせなき心のために
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!
消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨に涙す。
何事ぞ!
裏切りもなきにあらずや?
この喪そのゆえの知られず。
ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。
あれ、これはほとんどそのままですね。私のコピーミスかもしれない。信太郎先生のは、手元に本があるから、それと見比べて、ヴェルレーヌに迫ろうと思います。
<鈴木信太郎 訳>
「都に雨の降るごとく」 都には蕭(しめ)やかに雨が降る。
都に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
心の底ににじみいる
この佗(わ)びしさは何ならむ。
大地に屋根に降りしきる
雨のひびきのしめやかさ。
うらさびわたる心には
おお 雨の音 雨の歌。
かなしみうれふるこの心
いはれもなくて涙ふる
うらみの思(おもひ)あらばこそ。
ゆゑだもあらぬこのなげき。
恋も憎(にくみ)もあらずして
いかなるゆゑにわが心
かくも悩むか知らぬこそ
悩(なやみ)のうちのなやみなれ。
信太郎先生の訳で、少しだけわかったような気になれますよ。
これは存在の哀しみ、みたいなものですか。
恋でもなくて、憎しみ・苦しみでもありません。誰か近しい人が亡くなったというわけでもないようです。
都会に住んで、日々の暮らしをコツコツと送っている。晴れの時も、雨の時もある。
晴れの時は、何かの考えにとらわれることなく、ひたすら懸命に過ごしているけれど、雨の日に、少し落ち着いて考えてみると、何とも表現できないわびしさがこみあげてくるのです。
若い時、そういうわびしさみたいなものはあったんだろうか。そもそもこれは老年のための詩なのか。
たぶん、そんなに年をとってからの作品ではないような気がします。
若い人だって、どうして何とも言えないむなしさがあるのかと、感じる時だってあるでしょう。
そうか、これはペシミスティックごっこなのか。
いや、ごっこじゃなくて、しっかりとした虚しさを感じているのだと思います。
私たちだって、落ち着いて身のまわりを見てみたら、深い空虚が広がっているじゃないですか。普段はそれを見ないふりをしているだけです。その暗闇を取り上げたんでしょう。
どこにでもある、いつもの虚しさなのでしょう。普段の私たちは自分をだまくらかして、そんなのないよというフリをしているだけです。
ああ、なんとなく高校時代の虚しさみたいなのがよみがえる気がします。
そうです。これはたぶん、高校二年か、三年の時の現代国語の教科書に載っていた詩でした。翻訳詩なんて、昔は教科書に載ってたんですね。
あの時は、マネして虚しさぶることをしてみたけれど、今は少しそれがわかる気がします。さすが、オッサンは違います。もう何十年も経っていますからね。
雨の日は、虚しさが少しずつ吹き出します。それもまたいいかと、味わう余裕あるかな。
今、そういう余裕がないような感じです。せっかく雨が降っているのに……。
この前、久しぶりにそういうのを感じられたんですね。そうか、休みの日に仕事があって、雨が降ってくれたら、クルマの中で虚しさを味わうことができるかな。
でも、信号の度に写真撮っているようなバカにはわからないかも……。(近ごろ自虐ばかりしています。ワンパターンです……)
★ 突然のヴェルレーヌは、たぶんドビュッシーの関係です。最近、ラベルのピアノ曲が好きになり、その関連でドビュッシーのピアノ曲、それを聞いてたら、ヴェルレーヌも関係があると知り、だったら高校時代に買った岩波文庫があるぞ、と掘り出してきて、そして雨の日の仕事に重なり、「都に雨の降るごと」き気分になったようです。
そういうのを説明しないで、突然のヴェルレーヌだから、なんじゃこれ、ってなるんですね。