先日、大阪に行ったとき、近所のブックオフで百何十円くらいで買ってきた本でした。
中央公論から出ています。企画としては面白いと思います。埋もれた作品が、中学高校の教科書などで取り上げられていたようです。今はどうなっているんだろう。今なら、村上春樹さんも古くて、江国香織さんも古いですね。知らない作家さんたちの作品が取り上げられていて、そういうのを子どもたちは読んでいくんでしようね。
古典も切り捨てられることになったし、明治・大正・昭和の近代の文学も教育政策として切り捨てざるを得ない状況でしょうか。
改めて、近代文学を総ルビで読ませて、内容を理解していく作業みたいなことをしてもらわないと、何もかも忘れられていくでしょうね。
文学って、何のためにあるのかなあ。生きるために、明日が楽しくなるように、未来に希望が生まれるように、今を大事に生きるために、文学はあったと思うんだけど、今さえ楽しく生きられたら、お金も適当に入って、他人なんて知らないで、自分たちは自分の楽しみを味わう、そういう考え方でいけば、そりゃ、文学なんていらないかな……。
文庫本は230ページほど。そこに12の短編が載っています。重厚な森鴎外、菊池寛という方たちから、司馬遼太郎さん、山本周五郎さんという人情派の人たち、武田泰淳さん、遠藤周作さんというスマートな文学者、野坂昭如さんみたいな戦後派を背負ってた方などの作品があります。
そこに、梅崎春生さんの「赤帯の話」というのが収録されていて、梅崎さんといえば、戦争が終わる直前までカゴシマにおられた方なので、私は高校のときからそのお話を読ませてもらって、太平洋戦争末期の頃のことを少しだけ感じることができたような、そんな気持ちになりましたけど、どういうわけか、シベリア抑留の話でした。
それでも、面白かった記憶がありますが、今は中身は忘れています。だからこそ、もう一度読ませてもらおうと思います。
被団協がノーベル平和賞をもらったといっても、それが私たちにどれだけ還元されているのか。ただ「よかったね」と他人事になってないでしょうか。何を聞いても、自分事としてとらえられなくなっている私たちは、どうしたら物事を自分に置き換えられるのか?
それは、やはり物語の力を借りなきゃいけないのだと思います。物語の世界に入って、登場人物たちと一緒にその世界を再体験すること、それも大事なことだと思うのです。どんなに「大事なことだね」「よかったね」「心にとめておきたい」なんて言っても、なかなか表面的で終わってしまいそうです。
というんで、本読みますか? ハイ、ボチボチ読みます。明日は年賀状を書こうと思います。どれくらい書けるかなあ。京都に行こうかとも思ったのです。金閣寺を見たいなと思ったのです。
でも、やめにして、年賀状を書くことにします。お酒も飲まないで、チビチビと仕事します。そう、今日で年内のお仕事は終わりにしました。金曜にチョコッと行くかもしれないけど、もう休みにはしました。
だったら、家の仕事をバリバリするしかないね。その前に年賀状ですね。頑張りたいです。