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70年代半ばに買った岩波文庫、あとしばらくしたら、ページをめくるたびにちぎれるかもしれない。それまで、もう少し埋もれていることばを探してみます。どれだけ見つけられるかわからないけれど、こんな旅があったのだと思っています。
こんな旅を、私もしてみたいと思っています。
西の方へ歩く W.ワーズワース
私の仲間と私とがある日没後の晴れた夕べ、数週間前に私たちの旅の間に親切にもてなされた小屋へ行く道すがら、ケタリン湖のほとりをあるいている間、私たちはその寂しい地方の最も寂しいところで、二人のよい身なりをした婦人に遇(あ)った。その一人は会釈のつもりで『まあ、西の方へおいでになるのですネ』と云った。
イギリスは日没が遅いだろうけど、いつくらいまで歩いて、いつ頃寝たんだろう。どこででも野宿したんだろうか。気ままな旅、イギリスはこんな旅人がいたらしい。
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『まあ、西の方へおいでになるのですネ。』『そうです。』
このように故郷から離れて遠い異国に、
もろともにさまよっている私たちが、
この土地で「偶然」に弄(もてあそ)ばれるお客であるなら、
それはいささかすさまじい運命であろう。
しかしこうした美しい空に導かれては、
家がなく、雨宿りがなくとも、
誰が止まろう、誰がすすむことを恐れよう。
露けき地は暗く冷たく、
見返るうしろはすべてが暗い。
西の方へ歩くことは、
聖なる運命(さだめ)と思われた。
私はこのあいさつを喜んだ。
それは場所や境(さかい)を超えたものの響(ひびき)、
そしてその輝かしい地方を通って旅する
雲の権利を私に与うるように見えた。
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私は今、ウクライナの人々のことを考えてしまいます。三百万人くらいが国外に脱出しています。その一方でふたたび国境を越えて、ウクライナにもどろうとする人たちもいる。
みんな生きるために旅しているようです。そして、この詩の中の旅人は、何だか気まぐれな旅のようにも見えるけれど、彼らとしては(私たちも)生きていくために雲みたいになりたい、そんな権利があるんだと言い聞かせながら歩いていることでしょう。
その声はもの柔らかく、
話す彼女は生まれ故郷の湖畔を歩いていた。
このあいさつは礼儀そのものの響(ひびき)を、
私に取ってもっていた。
私はその力を感じた。
私の眼が輝く空を見つめたとき、
この声の反響が、
私の前にはてしなく横たわる
世界を通じて旅する思いに、
人間的な美しさを加えた。
旅で誰かに出会えたら、ほんの一瞬でも、お互いに生きているし、何か言葉を交わせたら、それも生きてることにつながりますね。
私は旅をしているだろうか。
今朝、ほんの少しだけ奥さんと散歩をして、あまりしゃべりはしなかったけど、生きてたでしようか。それから後、今日一日、どれくらい生き生きしてたかなあ。何だかもったいないです。
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反省して、明日、西に向かって歩いてみましょうか。どれだけおしゃべりできるだろうね。