新聞を見ていたら、奈良大の千田先生がお城の連載記事を載せておられるのですが、家康さんが三河の統一を果たし、次には隣国の遠江に進出した時、そこでも激しい抵抗にあったそうで、そこのお城を落とした後、城内部にいた女・子どもを含めたすべての人たちを切り捨てさせたということがあったそうです。
侵略者というのは、そこにいる人々に自分は何であるのかというのを見せつけねばならないので、憎しみを植え付けることになっても、断固としてやるときはやる、歯向かうものは許さないというのを見せなきゃいけない。
そのルールは、戦国の時代でも現代でも共通なのかもしれない、とふと思いました。
現代においても、戦争が引き起こされてしまっています。お城や町に籠る人々は、歯向かうのであれば、侵略者としてはすべて殺してしまう、というのは現代でもありうる話なのです。
ロシアだから(そんな野蛮なことを、信じられないことを)やるのではなくて、たいていの侵略者はそんなことが当たり前だと判断するのです。
そもそも現代において、戦争をするというのであれば、戦車隊を突進させ、戦艦からの艦砲射撃をしたり、ミサイルや空爆、挙句の果ては生物兵器・戦略核、あらゆる手段で敵としたものを痛めつけるのでしょう。
どんなにひどい侵略者でも、ウクライナの人々を皆殺しはできないと諦めているかもしれません。だから、気持ちを切り替えて歯向かう者たちは全滅させるのだなんて、そういうことを考えることが恐ろしいことなのに、そこにまで至ってしまっているプーチンとは何者なんでしょう。私はもうわからなくなっています。
世界に対して中立を誓い、ロシアと友好関係を結び、軍備を持たないで、できればプーチンの言うことを聞く従順な指導者を置きたいだなんて、全く前時代的なアイデアですけど、今それが行われようとしています。
それを聞かされてる私たちは、あなたのつまらない考えが間違っている、というのをみんな普通に判断できる。プーチンだって判断はできているのだろうけれど、聞く耳を持たずにやっている。どうしてそんなことができたのか、そこまで彼を思いつめさせたのは何だったのか。彼の老いであったのか。
ロシアの人たちもわかっているし、どうして同じ仲間であった人々の国で戦争をしなければならないのか、納得できないままに進撃している。そしてプーチンからの命令に従わさせられている。
どうしたらいいんだろう。
誰かが止めなければならないけれど、プーチンはそれこそ皆殺しにしないと納得しないはずです。家康さんと同じで、ここは妥協してはいけないと思っている。
兵士たちは抵抗できないので、命令のままに理不尽なことをやらされていく。ロシアの人々もおかしいと思いつつ、何も言えないでいる。
この不幸の連環はなかなか途切れない。希望は、ロシアの人々の心ある行動です。国営放送の女性みたいなこと……。もっともっと出てきてほしいけれど、放送局の男どもは沈黙しているはず。それら反発的なものすべてを消し去るようプーチンは命令するでしょう。でも、立ち向かってもらい、反プーチンの力を結集してほしい。
キエフが心配です。ムソルグスキーが曲の最後にもってきたキエフの大門、そこはみんなが心を開かれ、空を仰ぎ見る華やかな都ではなかったでしょうか。はやく、キエフの大門を取りもどさなくちゃ! 私たちにそれができるのはいつのことなのか。
希望を捨ててはいけないと思います。世の中には(ズル)賢いことを考える人がいて、プーチンとゼレンスキーは裏でつながっている、なんていうのを平気で載せている人もいます。それはあり得ないし、それだったら、希望も何もありません。
人々は何のために殺されるのか、わからなくなってしまう。どうして今も戦争が続いているのか、どうして私たちは戦争を止める手段を持たないのか、どうしてこれ幸いと核武装しようなんていうバカなことを言いだす人たちがいるのか(こういうお調子者はいつの時代でもいるわけですね)。
希望をもって、今から、明日に臨んでいきたいです。