前回、チェーホフさんが旅立つ前に知り合いに送った文章を載せさせてもらいました。さあ、いよいよ十何年ぶりにチェーホフさんの旅を見てみたいです。とはいっても、その最初の数ページだけかもしれないけど。
1890年7月5日、わたしは汽船で、わが祖国の極東の地点たる、ニコラエフスク市へ到着した。アムール河もここまで来ると、非常に広く、海までも、余すところ、わずかに27露里である。素晴らしく風光明媚な土地ではあるが、この地方の過去の思い出や、凶暴な冬や、それに劣らず凶暴な土地の習慣などについての旅仲間の物語や、懲役地に近いということや、見捨てられて、滅びゆく都市(まち)そのものの光景などが、この風光を賞(め)で楽しもうとするような気持ちを完全に奪い去ってしまう。
あゝ、何とこの生活(ニコラエウスク)はロシアから遠く離れていることであろう! この土地で、ウォートカの肴として食べる燻製の鮭の背肉をはじめとして、さまざまな話に至るまで、一切のことに、ロシア的でない、一種独特の何ものかが感じられる。アムールを航行中もわたしは終始、自分がロシアにいるのではなくて、どこか、パタゴニア(南米の南部)か、テキサスにでもいるような感じだった。
……わたしが絶えず感じていたのは、わがロシア風の生活様式は、土着のアムール人には全く縁もゆかりもないもので、プーシキンやゴーゴリも、ここでは全然理解されず、従って不必要なものであり、わが国の歴史も退屈で、われわれロシアから来た者もまた、まるで外国人のように思われているということであった。
チェーホフさんの言う通り、ロシア人も、日本人も、カムチャツカからサハリン、シベリアに至るまで、縁もゆかりもありませんでした。けれども、人間の生活範囲は想定外で、こんなところでも生きているのか、こんなとこに進出するのかという、不自然でハチャメチャに広がるから、地元の人がいてもお構いなしで、好きなように広がるみたいです。何人が悪いというのではなく、人間って、どこかここ以外の土地で生活できないかと、あちらこちら移動するものではないですか。
それは21世紀の今でも同じで、勝手に知らない土地に来ておきながら、のさばって土地のボスになったり、地元・ふるさとに帰りたいけど、お金がないし、強制送還してくれ! なんて無責任に叫んだりするんです。
どこにいてもいいから、地元に和み、地域の人と仲良く暮らしていく工夫をすればいいのに、そんなに簡単ではないわけです。人って、部外者にはやたら冷たいわけですから。それでさらに疎外感は拡大してしまう。すぐに隔離してしまうし、それを大っぴらに叫ぶ政治家だって、世界各地にいるようです。
静かな、晴れ渡った日であった。甲板の上は暑く、船室の中は息苦しい。水温摂氏18度。黒海にでもふさわしい陽気である。右岸では密林が燃えていて、濃密な緑の塊がその中から炎々たる焔(ほのお)を噴き出し、煙の球がまっ黒な、長い、不動帯になって林の上にかかっている……恐ろしく大きな火事だが、あたりは寂として声もなく、林が灰燼に帰してしまおうと、誰の知ったことか、といった有様である。まことにここでは、緑の資源など、ただ神のみの所有でしかないのだ。
ああ、チェーホフさん、今もアメリカの西海岸では山が燃えているようです。ブラジルでも燃えているかもしれない。インドネシアのどこかの島でもそうかもしれない。森は今も燃やされている。
木は切り倒され、地面はずっとどこまでも舗装されています。グリーンランドもアメリカの領土になるかもしれない。アメリカにどんなメリットがあるかどうか、それもわからないけれど、単純に中国を叩きのめしたいんですね。そうして中国の経済を停滞させようとしている。それで世界がうまくいくとは思えないけど、中国も自分たちがどこへ行くのか、それもわかってないのだと思うんだけどな。