たまたま撮った写真ですけど、北斎の凱風快晴みたいで、少し気に入っています。
先月の初め、山形市の山寺にクルマで出かけました。途中も何度もクルマを止めて写真を撮りたかったんですけど、とりあえず我慢してとにかく山寺・立石寺をめざしました。
「りっせきじ」とホームページには書いてあります。でも、お寺的には「りゅうしゃくじ」というふうに読んだ方がお寺っぽいのだけれど、東日本のお寺ですから、「りっせきじ」と紋切り型になるみたい。なんとかくビシッと言い放つ方が東日本ではいいんでしょうね。
そうだ。昔、吉祥天女像を関西風に「きっしょうてんにょぞう」と読んで、それが当たり前だったので、東京の西の吉祥寺を「きちじょうじ」と読むと聞いたときはビックリでしたよね。私は「きっしょうじ」と口にしたら、ものすごい間違いみたいに「きちじょうじ」というんだよとか、言われたのかなあ。とにかく、関東の人は、関東中心ですからね。
「きちじょうじ」といい、略して「じょうじ」という。これは日本の地名なのかと、私なんかは思いますけど、東日本の人は当たり前です。
もうどっちだっていいや。土地にはいろいろな呼び方・読み方があるわけで、それぞれに呼び慣れた言い方でやっていたら、それはそれでいいわけです。
「神戸」だって、阪神地方では「こうべ」だけど、三重県に来てもらったら、伊賀市に「伊賀かんべ(こうべ)」があり、鈴鹿にも「かんべ」があります。岐阜には「ごうど」と読むところもあるみたいだし、きっと人の名字で「かんど」と読むことだってあるかもしれない。
あいかわらず、つまらぬマクラを述べたつもりですね。ハハーン。
そうだ。山寺さんに登らなくちゃ! 足腰に自信はないけれど、アドレナリン効果でなんとか乗り切るしかありません。もう二度と来ないかもしれないし、とにかくこの階段1つ1つが一期一会なんだから。
登り初めから厳しくて、わりとフラフラしています。でも、おばあちゃんも、小さい子も、若いグループも、団体さんも、私みたいな一人歩きも、とにかくみんなで山の上をめざしています。だから、私もみんなと一緒に前になったり、後ろになったりしながら登るしかありませんでした。
その中で、あれ、モデルさんと撮影隊かなというグループがいました。美人さんを中心に登ってきます。たぶん、私よりあとから来た人たちでした。楽しそうに上がってきます。私がお猿さんを撮ったり、お花を撮ったりしているうちに追いつかれたみたいでした。
お寺なので、あちらこちらにいろんな塔頭があり、それぞれが独自の色を出して、花を植えたり、休憩所を作ったり、冷やしタオルを販売したり、あれこれ商売しているようでした。だから、お猿さんもやってくるし、どこかで修行しようという、仏との出会いを求める人たちも来るようでした。
そうか。お寺って、出会いが生まれる場所でもあったのか。お墓を作るだけではなかったんだ。当たり前ですけどね。お墓だけだったら、普段の日に来られないですもんね。
山は高く、階段は細々と続き、私たちはとにかく行き着けるところまで、仏様との出会いと、芭蕉さんにも会いたいし(そのために真夏に来ているわけだから)、とにかく登ります。
どこまで行ってもきりがないし、どこが終わりなのか、何を拝めばいいのか、私たちの前に直接現れてくれる仏様はおられないので、とにかくどこかの仏様を自分で見つけ、そこで満足しないといけないわけです。
そうか。奈良の大仏さんみたいなのは特別なわけですね。普通のお寺って、お堂の中は見えないし、パンフレットとかにはこういう仏様がおられますよと書いてあっても、それは気分的なものであって、自分で納得しないといけないのです。基本は見られないのが当たり前です。
そんなカンタンに仏様が見つかってたまるものですか!
さて、凡人の私は、もちろん見つからなくて、ただ、眺望を楽しみ、時間の経過を知り、仙山線の時間が気になり、ぜひ今度こそ、仙山線の写真を撮らなくちゃと、そっちが気になり、とりあえず眺望と、高い山のお寺に感心し、降りてきました。
往復2時間と少しで、上りと下りが山寺駅ですれちがうのを確認して、帰りました。奥さんと仙台で待ち合わせすることになっていました。彼女は三重県から新幹線に乗ってやってきます。私だけの時間はあと少し。とりあえず、山を越えて宮城県に出なくちゃ。
電車は、仙台に向かっていきました。私も、仙台に行かなくてはならない。大好きなネムだけを撮って、私は山寺を去りました。
あれ、セミ聞きましたっけ。たぶん、聞いたような気がするけど、しみじみした気分は味わえなかったなあ。私はとても俳句的な気分を味わえなかったんですね。
1 山寺や芭蕉の知らぬネムの花
2 山寺や凱風快晴あとで知る
3 山寺や午前は嵐のこどくすき