客車の大船渡線に乗ったのかどうか、はっきりした記憶がありません。とにかく昔はディーゼルが客車を引っ張っていたということです。
気づいてみれば、白に黄緑のラインの東日本カラーのディーゼルが走っています。
陸中松川はうちの奥さんが高校時代に利用した駅でした。私が三十数年前に初めて彼女の実家へ降り立ったのもここでした。ここからタクシーに乗せてもらって彼女の家まで行きました。あのころはおばあちゃんもいて、お母さんもおられた。まあ、当たり前だけど、はるか昔のことです。でも、ついこの間のような気もします。
雨の松島でフラフラしていたから、到着するのが遅くなったんでした。松島から一ノ関まで新幹線に乗ったんだろうなあ。あまり記憶はないけれど……。
縮小されて、無人駅の小さな待合室、ここで私たち夫婦と彼女の妹さんの3人でお昼ごはんを食べましたが、もっとちゃんとしたところで食べればよかったですね。まあ、これも旅の風景なのかな。
そうすると、上り線と下り線がやってきてすれ違って行きました。お客はナツだから、もういっぱいで、JRさんも儲かっていて、良かったなあと思ったものでした。
それから、レールに導かれるように、「石と賢治のミュージアム」というところに行きました。駅の跡地を利用したような感じです。
アンモナイトかな。
セミのこども。もうすぐ大人。
大人のセミ。どれも立派な感じです。だれが作っているんだろう。なかなか楽しいアーチストさんじゃないですか。
やがて電車は去っていき、私たちもここを去って、宮城県に移動したんですけど、どこまでいても、いつまで経っても、納得がいかないというのか。昔、あんなに何日も滞在した彼女の住んでいた街を、今は1日か2日で去らなくてはならなくて、何だか消化不良のまま、落ち着かないまま、駅もミュージアムも電車も、味わい尽くしたとはいえなくて、何だか去るのが惜しい感じでした。
もっと何年も前から、毎年行けていたらよかったのに、それは今さら言ってもしかたがないけど、もう私たちの滞在するべき家は、使われてなくて、ずっと居続けることはできなくなっています。