★ 生い立ちの歌
Ⅰ
幼 年 時
私の上に降る雪は
真綿(まわた)のようでありました
Ⅰ
幼 年 時
私の上に降る雪は
真綿(まわた)のようでありました
これはどうなっているんだろう。やさしく、フワフワとした雪が降っていたんですね。小さい子は、雪に触れるチャンスもそんなになかっただろうから、親の庇護のもと、やわらかな雪に触れることがあったということなのかな。
少 年 時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました
少 年 時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました
子どものころ、幼いころ、近所を走り回ってたころ、そうした時代は、雪というものをそんなに感じなかったことでしょう。
雪であろうが、雨であろうが、どれも同じで、大雨なら外には出ないし、大雪でも同じでしょう。ただの雪や雨は、空からの恵みとして受け入れていた、というか意識もしなかった。クソ・ミソ一緒だった。
十七〜十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました
十七〜十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました
パリパリパリと地面に落ちてくるのをはっきり意識して、それでもあえてそれに立ち向かうように外に出ていき、どんなものが落ちてきても、とことん行くところまで行くつもりで、これまたそんなにへこたれず、音だけを意識して突き進んでいきました。
結果はそんなに気にしないし、どうせたいした結果などないのです。ただ、自分が突き進む道だけが見えていて、先はどうなるのかわからないままに、暫定的に進む。
不安ではあるけれど、それが自分の見つけた突破口であれば、そこを進むしか他に道はないではないですか!
二十〜二十二
私の上に降る雪は
雹(ひよう)であるかと思われた
私の上に降る雪は
雹(ひよう)であるかと思われた
よくぞ、こんな表現を考えましたね。二十二歳まで、とてつもない出会いがあったり、別れがあったり、人生がギッコンバッタンとなるころでした。
その時、雹が落ちてくるような、大きな困難にも出会ったことでしょう。みんながそれを乗り越えてくるわけですね。いや、中也さんだけかな。人によって、出会う時はマチマチだけど、雹みたいに感じる雪が降るのかもしれない。
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪(ふぶき)とみえました
とうとう吹雪になりました。何が起きたんでしょう。
十六の時、三つ年上のヤスコさんという人と知り合い、すぐに同棲を始め、その彼女が友人の小林秀雄さんのところへ行ってしまう。それが十八でした。
しばらくしたら、ヤスコさんは、小林さんと別れて、中也さんはヤスコさんに最接近を試みて、二十二歳で彼女と旅行に出かけたりします。二十三歳の時、ヤスコさんは他の男の子を産み、ご丁寧な中也さんは彼女をサポートして、子どもの名付け親にまでなってしまう。そうしたムチャクチャな頃のことらしい。
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
東京外語学校の仏語部に入り、少しは勉強したということなんでしょうか。ヤスコさんとは縁が切れたのかもしれないな。
そうした波乱万丈があったということらしい。中也さんは、あと六年しかなかったのです。どうしてそんなに短かったのか。嘆いても仕方がないけれど、そういうふうにして人生を振り返ったんですね。
そんなふうにして人生を振り返るのは、誰もがしてしまうことだし、そうすることで次へのステップも見つかることもあります。
このあと、別の女の人と結婚して、お子さんも生まれます。それはそれでよかったのだけれど、単純に彼の人生は進んでいかない。
もう、私たちは雪まみれだし、雨ではないんだな。雨はオセロの白と黒という感覚で、晴れがあったり、雨があったりなんでしょう。時々、寒い時に、雪が降ってたんだなぁ。