今、パソコンを開いて、打ち込もうとした瞬間、話題の「戦争に参加できる権限」というのは、何というのだった? と、私の中でいつもの思考停止がありました。
たぶん、「集団的自衛権」というのだった、と思うのですが、これと対立する概念として「個別的自衛権」というのがあるらしいです。何だか、あれこれと、国民とは関係のないところで、そして、憲法を無視する形で、与党のみなさんたちの暴走で決められてしまいました。
一部では反対する人々が、ささやかにデモやら、集会やらをしたようですが、国民は、あまり関わらないうちに、というか、全く国民とは関係のないところで進められた議論ではありました。
私も、まるでどういうものなのか、よくは知りませんし、安部さんが好きで進める政策の1つ1つについて行くのは、時間のムダのような気がして、「勝手にやっていればいいよ」と思っていたのがまちがいでした。
そもそも集団的自衛権とはどんなものかというと、聞きかじりですが、アメリカが始めた(侵略されたために始めた)アフガニスタン、イラクとの戦争に、同盟国のイギリスが参加したこと、これが集団的自衛権を認めた結果だそうです。この事実をみれば、集団的自衛権は必要ない、というのが冷静な判断です。いや、同盟国のためなら、無意味な戦争に参加することにも意味があるのだ。そもそも政府が無意味な戦争に参加するわけがない。という考え方もあるのかもしれません。
とにかく、世界で起こる紛争・戦争に参加することが、国家として名誉あることなのだ。と考える人たちに、戦争に参加するな! と訴えても、彼らにはすでに結論があるのですから、それにブレーキをかけるのは、国民の声しかなかったのです。けれども、政府は、国民をなめていて、いくら我々が暴走しても、国民は何も言わないだろうとなめきっていて、自分たちの論理で暴走しています。
幸い公明党さんが、少しブレーキをかけてくれて、あまりあちらこちらに派兵できるものではないような案になったので、これからどんどん足かせを作って、どこへも行けないものになってほしいです。
ああ、政府与党の一部の人の暴走に、ふりまわされて、国民の皆さん・マスコミ・世界の人々、みんなが無駄な時間を使わされていると思います。本当に、まわりのひとたちがかわいそうです。
でも、世の中には、自分たちの権利拡大に動く人たちがいて、この人たちにはだれかがブレーキをかけなくてはいけないと思います。そうしたシステムが必要ですし、過去に学ばなくても、ついこの数年の世の中の動きを知れば、それがどうなることなのか、簡単に判断できるのに、それをしないで、自分たちのわがままを優先する人たち、この暴走は止めなくてはならない。
そのためには、私たちは、選挙と、デモと、知ることと、ノーと言うことくらいでしょうか。これをこまめにやっていこうと思います。そして、どんどんイヤだと言い張ろうと思います。孤独に1人で叫ぶだけでは始まらない。みんなの力の集結が必要だと思います。
どうしたらみんなが自分のイヤだを形にできますかね。日本も中国と同じで、知らない形で見張られているんでしょうね。だから、若い人はどうせ見張られているんならバカやっちゃえと、極端な方向へ走るのかなあ。中間のとにかくダメなものはダメ。どんなに国民を管理・統制しようとしても国民は勝手に好きなところへいっちゃうもんね、という形をとれないかなあ。
たぶん、「集団的自衛権」というのだった、と思うのですが、これと対立する概念として「個別的自衛権」というのがあるらしいです。何だか、あれこれと、国民とは関係のないところで、そして、憲法を無視する形で、与党のみなさんたちの暴走で決められてしまいました。
一部では反対する人々が、ささやかにデモやら、集会やらをしたようですが、国民は、あまり関わらないうちに、というか、全く国民とは関係のないところで進められた議論ではありました。
私も、まるでどういうものなのか、よくは知りませんし、安部さんが好きで進める政策の1つ1つについて行くのは、時間のムダのような気がして、「勝手にやっていればいいよ」と思っていたのがまちがいでした。
そもそも集団的自衛権とはどんなものかというと、聞きかじりですが、アメリカが始めた(侵略されたために始めた)アフガニスタン、イラクとの戦争に、同盟国のイギリスが参加したこと、これが集団的自衛権を認めた結果だそうです。この事実をみれば、集団的自衛権は必要ない、というのが冷静な判断です。いや、同盟国のためなら、無意味な戦争に参加することにも意味があるのだ。そもそも政府が無意味な戦争に参加するわけがない。という考え方もあるのかもしれません。
とにかく、世界で起こる紛争・戦争に参加することが、国家として名誉あることなのだ。と考える人たちに、戦争に参加するな! と訴えても、彼らにはすでに結論があるのですから、それにブレーキをかけるのは、国民の声しかなかったのです。けれども、政府は、国民をなめていて、いくら我々が暴走しても、国民は何も言わないだろうとなめきっていて、自分たちの論理で暴走しています。
幸い公明党さんが、少しブレーキをかけてくれて、あまりあちらこちらに派兵できるものではないような案になったので、これからどんどん足かせを作って、どこへも行けないものになってほしいです。
ああ、政府与党の一部の人の暴走に、ふりまわされて、国民の皆さん・マスコミ・世界の人々、みんなが無駄な時間を使わされていると思います。本当に、まわりのひとたちがかわいそうです。
でも、世の中には、自分たちの権利拡大に動く人たちがいて、この人たちにはだれかがブレーキをかけなくてはいけないと思います。そうしたシステムが必要ですし、過去に学ばなくても、ついこの数年の世の中の動きを知れば、それがどうなることなのか、簡単に判断できるのに、それをしないで、自分たちのわがままを優先する人たち、この暴走は止めなくてはならない。
そのためには、私たちは、選挙と、デモと、知ることと、ノーと言うことくらいでしょうか。これをこまめにやっていこうと思います。そして、どんどんイヤだと言い張ろうと思います。孤独に1人で叫ぶだけでは始まらない。みんなの力の集結が必要だと思います。
どうしたらみんなが自分のイヤだを形にできますかね。日本も中国と同じで、知らない形で見張られているんでしょうね。だから、若い人はどうせ見張られているんならバカやっちゃえと、極端な方向へ走るのかなあ。中間のとにかくダメなものはダメ。どんなに国民を管理・統制しようとしても国民は勝手に好きなところへいっちゃうもんね、という形をとれないかなあ。