何日か前にラジオで「この音は何の音」というクイズ(?)のようなものがやっていました。さて問題は……、テカテカ、コトコトという音がするだけで、まるで何の音なのかわかりませんでした。
解答者は新2年生の七歳の男の子でした。元気に「わかんない」と言ってましたが、あれこれヒントを出してもらい、たどりついた答えは、「ペットボトルを開ける音」と答えて正解になりました。ヒントは出まくりだし、正解しても何ももらえないし、NHKなのにわりとゆるい番組でしたっけ……。こうしたゆるさは大切だと思われます。聴取者と一緒になって番組を作っていく、クイズがメダマなのではなくて、みんなが参加することが大切って、そういう仕掛けをどれだけつくれるかだという気がするのです。
さて、それからすぐに解説がありました。1977年にしょうゆを容れるものとして使われたのがペットボトルの最初ということでした。今もしょうゆはペットボトルに入っているけれど、そのころ何だか見慣れない入れ物に入っているなあと感じたはずでしたが、あっという間に普及したんですね。これもアメリカの発明品を日本が取り上げて、広く採用したものになるのでしょうか。
それで、ああ意外と70年代は、いろんなものの起源があって、その上に今の生活が成り立っているのかもと思った次第です。
たとえば、なんでしょう。それを少し調べてみます。
それから、ネットで調べてみようとしましたが、何だか雑多な情報ばかりで、すぐにネットはあきらめました。
そんなことじゃないんだよ! と言いたいんですけど、私は何を求めていたのか……。
しかたがないので、うちにある「まだある。」初見健一著 大空文庫 2006 を取り出してみました。
そこには、
・丸善のチーカマ 1970年発売 ……最近の新商品なのかと思ってました。
・サクマのいちごみるく 1970年発売 ……今でも売ってるのかな?
・三島食品のゆかり 1970年発売 ……うちの子のゴハンのおともです!
・グリコのジャイアントカプリコ 1970年発売 ……アイスは好きなんですけどね。
・明治製菓のコーヒービート 1971年発売 ……今でも私は買います!
・三立製菓のカンパン 1972年発売 ……小学校の給食で食べた気がしますが、こんなに新しいのかな。もっと古くからあったような気がします。
・東ハトのオールレーズン 1972年発売 ……あったら買いますが、にせものもありますか。
・三立製菓のカニパン 1972年発売 ……友人はお昼にこれ食べてましたね。すごいです。
食べ物だけでもこんなにありました。もっともっといろいろあると思われます。
当たり前だけど、昔から今につながっている。そんなのわざわざ言うまでもないことでした。
さて、アルキメデス、これは時間がありません。あと少しでグーがダウンしますからね。夜に書けたら書こうと思います。さあ、どうなることか……。
そう書き出して、何日か経過しました。「アルキメデス」は読み終えました。私としては早い方です。
女子高生の葬式から始まって、彼女の建設業の父親の不正が高校生たちによって語られ、彼女はどのようにして亡くなっていったか、彼女と関係した男はだれか、高校生集団の男子生徒の姉の不倫の結末は? などいくつかの問題を抱えたまま、推理小説のように進んで最後にみんなの話し合いがあって物語が終わる、というような小説でした。
イマイチ適切な解説ではありませんね。
犯人は真ん中くらいでわかってしまうし、次から次と事件は起きるし、何だか作られた物語だなという感じなのです。
でも、そうした作り物っぽさから抜け出て、若者たちが語り合う理想。これが70年代的だと思いました。70年代は、ベトナム戦争が終結し、田中角栄という人が抜きんでて、総理大臣にまでなったかと思ったら、すぐにロッキード事件でひっくり返ったり、わりと浮き沈みのある、それでもみんなの力で世の中は変わる、個人のヒーロー性もやがて芽が出るのだ、という前向きな感じがありました。
今は、そうしたものはなくなって、あきらかに化学兵器ではないかと思われても、それを問い詰めることができないし、核兵器に反対しようという政府から選ばれた人たちの会合も、うまくまとまらなかったりします。すべてがいい加減で、エライ人次第。理念はなくて、風向き次第です。
ああ、70年代は遠くなりました。私たちはぼんやりと今を過ごしています。そして、そのボンヤリの中で、自分だけは大事、自分のことは自分で守る、適当な為政者など相手にしない、適当に選挙に行く、みたいな感じで流されている。
余裕がないというのか、世の中に理想が見いだせないというのか、他人はあてにならないから、自分だけは何とかしなくてはと思い込まされているというのか……。
もっと他人を信用できる人になれたらいいのだけれど、私もあまり他人やまわりを信用しなくなっている。だから、勇気を出して、あえて世の中に声をかけようと日々思うのです。でも、なかなかうまくできません。
解答者は新2年生の七歳の男の子でした。元気に「わかんない」と言ってましたが、あれこれヒントを出してもらい、たどりついた答えは、「ペットボトルを開ける音」と答えて正解になりました。ヒントは出まくりだし、正解しても何ももらえないし、NHKなのにわりとゆるい番組でしたっけ……。こうしたゆるさは大切だと思われます。聴取者と一緒になって番組を作っていく、クイズがメダマなのではなくて、みんなが参加することが大切って、そういう仕掛けをどれだけつくれるかだという気がするのです。
さて、それからすぐに解説がありました。1977年にしょうゆを容れるものとして使われたのがペットボトルの最初ということでした。今もしょうゆはペットボトルに入っているけれど、そのころ何だか見慣れない入れ物に入っているなあと感じたはずでしたが、あっという間に普及したんですね。これもアメリカの発明品を日本が取り上げて、広く採用したものになるのでしょうか。
それで、ああ意外と70年代は、いろんなものの起源があって、その上に今の生活が成り立っているのかもと思った次第です。
たとえば、なんでしょう。それを少し調べてみます。
それから、ネットで調べてみようとしましたが、何だか雑多な情報ばかりで、すぐにネットはあきらめました。
そんなことじゃないんだよ! と言いたいんですけど、私は何を求めていたのか……。
しかたがないので、うちにある「まだある。」初見健一著 大空文庫 2006 を取り出してみました。
そこには、
・丸善のチーカマ 1970年発売 ……最近の新商品なのかと思ってました。
・サクマのいちごみるく 1970年発売 ……今でも売ってるのかな?
・三島食品のゆかり 1970年発売 ……うちの子のゴハンのおともです!
・グリコのジャイアントカプリコ 1970年発売 ……アイスは好きなんですけどね。
・明治製菓のコーヒービート 1971年発売 ……今でも私は買います!
・三立製菓のカンパン 1972年発売 ……小学校の給食で食べた気がしますが、こんなに新しいのかな。もっと古くからあったような気がします。
・東ハトのオールレーズン 1972年発売 ……あったら買いますが、にせものもありますか。
・三立製菓のカニパン 1972年発売 ……友人はお昼にこれ食べてましたね。すごいです。
食べ物だけでもこんなにありました。もっともっといろいろあると思われます。
当たり前だけど、昔から今につながっている。そんなのわざわざ言うまでもないことでした。
さて、アルキメデス、これは時間がありません。あと少しでグーがダウンしますからね。夜に書けたら書こうと思います。さあ、どうなることか……。
そう書き出して、何日か経過しました。「アルキメデス」は読み終えました。私としては早い方です。
女子高生の葬式から始まって、彼女の建設業の父親の不正が高校生たちによって語られ、彼女はどのようにして亡くなっていったか、彼女と関係した男はだれか、高校生集団の男子生徒の姉の不倫の結末は? などいくつかの問題を抱えたまま、推理小説のように進んで最後にみんなの話し合いがあって物語が終わる、というような小説でした。
イマイチ適切な解説ではありませんね。
犯人は真ん中くらいでわかってしまうし、次から次と事件は起きるし、何だか作られた物語だなという感じなのです。
でも、そうした作り物っぽさから抜け出て、若者たちが語り合う理想。これが70年代的だと思いました。70年代は、ベトナム戦争が終結し、田中角栄という人が抜きんでて、総理大臣にまでなったかと思ったら、すぐにロッキード事件でひっくり返ったり、わりと浮き沈みのある、それでもみんなの力で世の中は変わる、個人のヒーロー性もやがて芽が出るのだ、という前向きな感じがありました。
今は、そうしたものはなくなって、あきらかに化学兵器ではないかと思われても、それを問い詰めることができないし、核兵器に反対しようという政府から選ばれた人たちの会合も、うまくまとまらなかったりします。すべてがいい加減で、エライ人次第。理念はなくて、風向き次第です。
ああ、70年代は遠くなりました。私たちはぼんやりと今を過ごしています。そして、そのボンヤリの中で、自分だけは大事、自分のことは自分で守る、適当な為政者など相手にしない、適当に選挙に行く、みたいな感じで流されている。
余裕がないというのか、世の中に理想が見いだせないというのか、他人はあてにならないから、自分だけは何とかしなくてはと思い込まされているというのか……。
もっと他人を信用できる人になれたらいいのだけれど、私もあまり他人やまわりを信用しなくなっている。だから、勇気を出して、あえて世の中に声をかけようと日々思うのです。でも、なかなかうまくできません。