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★ 里仁の父と母
子曰、「事父母幾諫。
子の曰わく、父母に事(つか)ふるには幾(ようや)くに諫(いさ)め、
先生が言われた。「父母に仕えてその悪いところを認めた時にはおだやかに諫め、
見志不從、又敬而不違、
志(こころざし)の従わざるを見ては、又(また)敬(けい)して違(たがは)わず、
その心が従いそうにないとわかれば、さらに慎み深くしてさからわず、
労而不怨。」
労(ろう)して怨(うら)みず。〈里仁・18〉
心配はするけれども、怨みには思わないことだ。
突然の昔話になります。私みたいな者にいろいろと指導してくださったすごい先生がおられました。いろんなことを教えていただきました。先生は、親孝行でしたけど、お母さんがすごい方だったそうです。
孟子さんのお母さんは、子どもに最適の環境を求めて引っ越しを3回されたというので、「孟母三遷(もうぼさんせん)」ということわざがありましたけど、それによく似ていて、お子さんのためにおうちを三軒建てて、不動産収入の道を作ってあげたのだそうです。すごい才覚のあるお母さんだったのかな。
その先生はキンさんとも呼ばれてたので、「キン母三軒」ともてはやされて、すごいお母さんですねと、みんなから言われていました。ネタではないのです。フツーにそんな会話がある空間に、昔、私はいたんですね。
何でも知っているし、いろんな本は持っておられるし、次から次とアイデアは湧いて出るし、マラソンもされるし、すごい先生でした。
その先生が言うのです。「親を変えようなんて思ってはいけない。親の言うことはハイハイと聞くものだ」と。二十代にその先生の教えを受けた私は、以後、ずっと母の言いなりになってきたようなところがあります。
母の言いなりにならなかったのは、彼女を見つけて、やがてその彼女と結婚したこと、これはもうわがまま放題にさせてもらった(つもりだったけど、最後はサポートしてもらいまくりでした。やはり、父母の手の中でのわがままでしたっけ。孫悟空みたいでした)。でも、それからあとはずっと母の言いなりな気がします。
それで、孔子先生のお言葉です。親の言いなりになるな! 自分で納得する道を自力で見つけろ! というのは否定しているわけではないのです。とにかく、親はあれこれ言うし、ムチャクチャもするのでしょう。でも、自分が従える範囲の中で、「ハイハイ」と言ってあげること、そういう努力目標として、教えてくださった気がします。
だからといって、されるままに虐待を許すのは間違っています。それには従えないし、自分を殺しています。だから、自分がいいよな、許してあげよう、聞いてあげよう、という範囲を広げてみる。絶対にダメなことを言いだしたら、ケンカしないようにして逃げだせばいい。親がどれくらいのことができるのか、とにかく親の可能性を信じてみようということですね。ハイ、そうしてみます。……でも、若い人は抵抗あるだろうな。
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子曰、「父母在、不遠遊。
子の曰わく、「父母在(いま)せば、遠く遊ばず。
先生が言われた。「父母のおられる間は、遠くへは旅はしないように。
遊必有方。」
遊ぶこと必らず方(ほう)有り。
旅をするにも必ずでたらめなことをしないことだ。」
これは、『論語』の文章の中の言葉なので、簡単にわかったらいけなくて、何だかモヤモヤとする表現だし、意味が知りたくなります。
そういう仕掛けがひそんでいる文ではあるのです。
旅をするのなら、あまり遠くに行ってはいけない。それはなぜなんでしょう?
それは、父母のピンチの時に、子どもとして役に立たないからです。ちょうどボクみたいなものです。母を大阪の実家に残したまま、三重県で暮らしている。これは一つの親不孝ではあると思っています。だから、せいぜい罪滅ぼしで、あれこれしてますけど、母にしてみたら、やはり頼りになるのは近所に住んでいる弟だと広言している。私としてはショックなんだけど、まあいいや、という気にもなるのです。
とにかく、親としたら,子どもはスープの冷めないくらいのところにいて欲しい。それは分かります。でも、それができない人だっていっぱいいます。
あとの文章、遊んでても必ず方あり、ってどういうことなんでしょう。一つの方から出ない、ということなんでしょう。型通りのこと、ワクの中で遊ぶのであって、デタラメはしてはいけない、そういうことらしいです。
私はもう、オッチャンですから、逆に型破りなことをしたいという願望がありますけど、残念ながら、それをやるパワーがありません。こじんまりしたことしかできないし、日々チンマリしている。ああ、情けないです。
若い人に聞かせても、こんなの屁とも思わないだろうな。それが悔しいです。これは真実なのに、誰もまともに聞き入れてくれないでしょう。
まだ、続きます!
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