芭蕉さんが「夏草や」の句を詠んだとされる小さな丘に登りました。そこが高舘といいます。観光客はだれもいなかったと思います。義経さんを慕って仙台藩の伊達の殿様が義経像をつくったそうで、芭蕉さんの頃にお堂が建っていたのか、それはわかりませんが、義経さんたちがここに暮らしていたというのは聞いたんでしょう。
芭蕉さんはここであまりの何もなさに、かえって昔ここにたくさんの建物、都としての機能・にぎわいを感じ、埋もれてしまったものを心の中で浮かび上がらせようとしました。それが芭蕉さんのすごいところです。物語をそこでつくりあげるんですから、それが世界を持っている詩人の力なんでしょう。
私たちは、ほぐれてしまった2人の関係を、もう一度結び合わせようとしていました。中尊寺では少しうまくできなかった。けれども、お互いに努力している気配は通じていたのでしょう。とにかく、ズンズン歩くうちになんとかなるのではないかと思っていた。そして、1番近くの名所を選んでいた。
どちらかというと観光ルートからはずれる感じで、いよいよ寂しい方へ来てしまった。そこで、つまらない話をし、今までのことを語り、ブランクを振り返り、「次はどこへ行こう」「今日は最終的にどうしよう」などと、今日の夜のことなども話したりして、少しずつ昔をとりもどそうとしていた。
だから、「夏草や……」と芭蕉さんのことを思う暇はありませんでした。自分たちのことばかり考えていたと思います。高館の真下に北上川を見ることができました。対岸の奥にそびえる束稲山(たばしねやま)がなだらかな斜面を見せています。そんなに高くはないけれど、印象的な山でした。
「あれが平泉から見ると東山で、京都みたいでしょ」
「そうか、北上川は鴨川で、お寺がいくつかあって、都をつくろうとしてたんや……」
「わたしんちは、あの山の向こう」
「ふーん」
というような会話をしたんでしょうか。ちゃんと憶えていないのですが、彼女の住む町はあの山の向こうにあるのだとは知ることができました。まだ訪れたことはないけれど、そこで彼女が20年ほど生きてきた。その彼女にやっと地元で会うことができた。これから、自分の中では「1年以内に結婚する」と宣言していた自分にいつわりはないけれど、先が見えないので、軽はずみな気持ちになれなくて、ただ「ふーん」というしかなかったのでした。
★ 奥さんにいろいろ聞かせてもらって、一関から平泉までは電車で行ったのだとか、駅前のそばやさんでおそばを食べたのだとか、あれこれ教えてもらいましたが、当時どう思っていたのかとかは教えてくれなかった。
ただ、この時の私の旅がなかったら、私たちは結婚していなかったとおっしゃっています。
そうなのか、そんな節目となる旅だったんですね。何となくいつもの旅のように思っていたけれど、宮沢賢治さんにつられて青森の旅をほじくり返しただけのような気がしていましたが、そうではなかったんですね。
つくづく私は、奥さんに感謝しなくてはいけないと思います。とんでもない大学時代の相手に、よくもまあ付いてきたものだと感心します。仕方なくそのままの流れで結婚したという面もあるかもしれないけれど、よくぞ見捨てなかったと思います。……まあ、平和な今だからこそ思える私の反省ですね。
ここから無量光院あとを通り、毛越寺(もうつうじ)に行くあたりでだいぶほぐれてきて、何枚か三脚を立てて2人の写真を撮りました。今見ると、やはり当時の2人の微妙な空気を反映して、大学時代のように密着していないようです。
今なら、適当に離れて撮ったり、わざと肩に手を掛けたり、その時の気分でつかず離れずで撮りますが、当時は少しだけ離れたツーショットになってしまっています。
そうした2人を見てみると、今の私は何となくいじらしくなります。こんなに一生懸命、もう一度昔の2人にもどろうと努力しているのが感じられてしまう。
毛越寺では何枚かツーショットを撮りました。少しだけ調子が出てきたのでしょう。そして、どうしても2人一緒の写真を撮らないと気が済まない雰囲気になったんでしょう。
三脚を立てて写真を撮るなんて、他人には迷惑だし、セットはめんどくさいし、時間のかかることです。それでもそれにチャレンジしたというのは、やはりお互いにそうしてみようという気分になっていたのでしょう。
もう一度昔のネガを探してみないといけないですね。改めて昔の節目になった時の2人を取り出して、パソコンで見られるようにできたら、今の見直しにつながるでしょうか。……なかなかむずかしいですね。
とりあえず、夜だけ涼しければいいやと思って、毎日を過ごすだけですからね。
芭蕉さんはここであまりの何もなさに、かえって昔ここにたくさんの建物、都としての機能・にぎわいを感じ、埋もれてしまったものを心の中で浮かび上がらせようとしました。それが芭蕉さんのすごいところです。物語をそこでつくりあげるんですから、それが世界を持っている詩人の力なんでしょう。
私たちは、ほぐれてしまった2人の関係を、もう一度結び合わせようとしていました。中尊寺では少しうまくできなかった。けれども、お互いに努力している気配は通じていたのでしょう。とにかく、ズンズン歩くうちになんとかなるのではないかと思っていた。そして、1番近くの名所を選んでいた。
どちらかというと観光ルートからはずれる感じで、いよいよ寂しい方へ来てしまった。そこで、つまらない話をし、今までのことを語り、ブランクを振り返り、「次はどこへ行こう」「今日は最終的にどうしよう」などと、今日の夜のことなども話したりして、少しずつ昔をとりもどそうとしていた。
だから、「夏草や……」と芭蕉さんのことを思う暇はありませんでした。自分たちのことばかり考えていたと思います。高館の真下に北上川を見ることができました。対岸の奥にそびえる束稲山(たばしねやま)がなだらかな斜面を見せています。そんなに高くはないけれど、印象的な山でした。
「あれが平泉から見ると東山で、京都みたいでしょ」
「そうか、北上川は鴨川で、お寺がいくつかあって、都をつくろうとしてたんや……」
「わたしんちは、あの山の向こう」
「ふーん」
というような会話をしたんでしょうか。ちゃんと憶えていないのですが、彼女の住む町はあの山の向こうにあるのだとは知ることができました。まだ訪れたことはないけれど、そこで彼女が20年ほど生きてきた。その彼女にやっと地元で会うことができた。これから、自分の中では「1年以内に結婚する」と宣言していた自分にいつわりはないけれど、先が見えないので、軽はずみな気持ちになれなくて、ただ「ふーん」というしかなかったのでした。
★ 奥さんにいろいろ聞かせてもらって、一関から平泉までは電車で行ったのだとか、駅前のそばやさんでおそばを食べたのだとか、あれこれ教えてもらいましたが、当時どう思っていたのかとかは教えてくれなかった。
ただ、この時の私の旅がなかったら、私たちは結婚していなかったとおっしゃっています。
そうなのか、そんな節目となる旅だったんですね。何となくいつもの旅のように思っていたけれど、宮沢賢治さんにつられて青森の旅をほじくり返しただけのような気がしていましたが、そうではなかったんですね。
つくづく私は、奥さんに感謝しなくてはいけないと思います。とんでもない大学時代の相手に、よくもまあ付いてきたものだと感心します。仕方なくそのままの流れで結婚したという面もあるかもしれないけれど、よくぞ見捨てなかったと思います。……まあ、平和な今だからこそ思える私の反省ですね。
ここから無量光院あとを通り、毛越寺(もうつうじ)に行くあたりでだいぶほぐれてきて、何枚か三脚を立てて2人の写真を撮りました。今見ると、やはり当時の2人の微妙な空気を反映して、大学時代のように密着していないようです。
今なら、適当に離れて撮ったり、わざと肩に手を掛けたり、その時の気分でつかず離れずで撮りますが、当時は少しだけ離れたツーショットになってしまっています。
そうした2人を見てみると、今の私は何となくいじらしくなります。こんなに一生懸命、もう一度昔の2人にもどろうと努力しているのが感じられてしまう。
毛越寺では何枚かツーショットを撮りました。少しだけ調子が出てきたのでしょう。そして、どうしても2人一緒の写真を撮らないと気が済まない雰囲気になったんでしょう。
三脚を立てて写真を撮るなんて、他人には迷惑だし、セットはめんどくさいし、時間のかかることです。それでもそれにチャレンジしたというのは、やはりお互いにそうしてみようという気分になっていたのでしょう。
もう一度昔のネガを探してみないといけないですね。改めて昔の節目になった時の2人を取り出して、パソコンで見られるようにできたら、今の見直しにつながるでしょうか。……なかなかむずかしいですね。
とりあえず、夜だけ涼しければいいやと思って、毎日を過ごすだけですからね。