この子はどうしたんだろう? どこにいるのだろう?
たぶん、よく行ったというデパートの屋上なのだと思われる。まわりに誰もいないし、いくつもあるベンチにもお客はいないようだ。夕方近くだったのか? うちの家族だけでここにいたらしい。何をしていたんだろう。デパートの屋上で遊びたかった、というのか息抜きしたかったのかもしれない。
子どもがリラックスして、好きなものを見つけて、楽しそうにしている姿を見たら、親はホッとするものだった。狭いアパートの一室よりは、広いデパートの屋上の方が走り回れるはずだった。
父も母も若く、都会で生きていく、毎日を生活していく、毎日仕事をしてゴハンを食べて、家族がいて、仕事が終われば家に帰って、そんな毎日だったことだろう。
何か目標みたいなのはあったろうか。漠然と自分たちが裕福とまではいかないが、生活に困らず、穏やかに過ごせたらいい、みたいにして生きていたろうか。
時間はあっという間に過ぎて、この子はオジイになり、母は元気でやっているけれど、友だちがいなくなったということばかり嘆いている。母は友だちがいたんだろか。いたのかもしれない。でも、自分で線を引いてしまう母は、どれくらい友だちと仲良くやれたのか、そこは不安だ。まあ、その子の私だって、とことん誰かと付き合うということができているか、何だか不安だ。
この子の写真をいくつか見てみたが、カメラを向けられると、口をひしゃげて、何か言いたげな顔をしている。ことばを発しているのかどうか、それは不明だが、大声ではないけれど、何かを伝えたいような顔をしている。何が伝えたかったのか。「おとうさん」「おかあさん」「歯がいたい」「おなかすいた」そんなことだったかもしれない。
子どもは大きくなるし、大きくなったらすぐに年老いてしまうし、年老いたら、平気な顔をして見せて、体の節々やら、肝臓やら、腰やら、肩やら、どこかがきしむ感じで、どっこいしょ、よいしょ、よっこらせ、なんて言いながら動いていくことになる。何たることだ。どうしてスムーズに動けないものか。
まあ、若い時からずっと他人から見たらぎごちない人間だったのだから、これからもずっとそんな風にして生きていくのだろう。
何だろうこの子? 友だちを見つけなきゃな!