甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

姪っ子のおなかを触らせてもらった!

2024年08月16日 05時09分33秒 | わたしたち、家族

 お盆期間、大阪の実家へ行ってきました。お盆に帰ってくる魂たちと一緒で、母のところへみんなが集まった形です。どういうわけか、父の話はあまり出なくて、父がきっと喜んでいるはずだとか、父にひ孫を見せてやりたかったなどと母も言わなかった。

 父はひ孫が生まれたら、それはそれは喜んだでしょうけど、うちの子が生まれた時みたいに何から何まで手伝ったり、お風呂に入れたりしただろうかな。そこまでは手を出さなかったかもしれません。孫が生まれたら、おじいちゃんの出番はあるだろうけど、ひ孫ではひいじいちゃんはお呼びでないのか……。何だか不思議だ。

 ただ、姪っ子のダンナさんに初めて会ったんですけど、彼に「おじいちゃんはいつもここに座っていた」と姪っ子が説明していて、その位置には私が座っているから、まるで父の代わりみたいな存在として私はいました。私は父的なキャラになってしまっていました。別のキャラにはなれなかった。



 ダンナさんは、和歌山の人だそうで、姪っ子とはどんな風に出会ったのか、お話を聞かせてもらったこともあったはずですが、ちゃんと私は聞いてなかったからモヤモヤしていました。その人たちを目の前にして、「はたして彼と姪っ子はどんな風にして、どこに接点があって結ばれることになったのだろう、それを訊きたいけど、そういう話ではないな。あまりよくわからないから、黙ってニコニコしていよう」と思ったようです。

 自分から切り出していくのが面倒だったんでしょう。どうして主体的に動かないんだよ?!

 ハイ、そうですね。座の空気をみんなで盛り上げたり、話を巧みに展開させたり、そういうのはあまり得意ではなかったんでした。自分から切り開かないから、まわりの人たちも「あの人はいつも大人しくて、静かにニコニコしている」としか思えなくなっている。本当は毒も吐くし、とんでもないキャラでもあるんだけど、それより何より人に対してグータラだから、何も生まれていかないところがあるみたいです。ああ、何ということでしょう。

 いつの間にか、いや意識的に、グータラ人間の私は、人の中にあってもあまりしゃべらない、何を考えているんだかわからないヤツになっています。アーア、情けないけど、それは本当の話です。


 姪っ子のダンナさんは、将棋の藤井聡太くんに似ているという前評判でした。確かに髪型・雰囲気・体型みたいなのもそういう細身の感じはありました。受け答えも適切に、無駄なく、優しく話をしている感じだった。

 そうでした。私は今まで姪っ子が「オジサンすごく感動するよ」とかオススメしてくれたものに対して全く感動できないオッサンではありました。

 どうしてこんなわざとらしい、いかにも感動するよ、ほらね、みたいなものにはちっとも心を動かされたことがなかった。他に彼女がいいものを勧めてくれたら、あら、なかなかいいね! と受け入れられるものもあるのかもしれないけど、数少ないオススメには感動してこなかったのです。

 わざとらしいものより、単純に誰かがこみあげるものがあって、こらえきれずに泣いてる場面でもあれば、一瞬でもらい泣きできるのに、作り込んだ感動には全く涙腺は刺激されないようになっているんでした。単純なんだと思います。わざとらしい感動は好きではなかった。



 姪っ子は、出会いがあって、和歌山の同い年の人と入籍し、秋には子どもさんが生まれる。昔ならどこかで結婚式みたいなイベントが開かれたはずだけど、コロナ以後の私たちは、すべて簡素にお金をかけないで実質的なものを求める傾向があるので、結婚式は行われなかった。

 昔、姪っ子から「私が結婚するまでは生きていてね」と言われた母は、生きているのに華やかな結婚式というイベントに出なくて済んでしまった。まあ、考えてみれば、結婚式なんてやらなくて済むのなら、やらない方がいいのかもしれない。それを昔の人たちは当然するものだと思って来たけれど、それもほんの経済成長の時代の一つのできごとで、当時の通過儀礼だったのかもしれないな。

 今は低成長の時代だし、人口減少社会が猛然としてやって来るし、無駄なことはしないで、自分たちの楽しみを優先することが第一なんだろう。二人はお盆前の南海トラフ地震前の注意期間に悠然と南紀白浜を旅するくらいのマイペースの二人だった。まわりでとやかく言うことではなかったのか。


 「お腹の中で赤ちゃんが何度も蹴っている、ほら、オジサンさわってみて!」と言われ、私も何度かその蹴ってる場所を触らせてもらった。でも、違いのわからない男である私は、うんともすんとも蹴っているともわからないまま、久しぶりに彼女にふれることができた。二十数年の付き合いで、久しぶりだった。彼女はもうお母さんになろうとしている。そんなところに私は立たされていた。

 やがては、私は父と同じようにこの世を去って、彼女たちが社会を支えていく。それは当たり前だし、みんながやっていることなんだと思う。姪っ子の赤ちゃんはどんどん大きくなり、和歌山か大阪で生きていくことだろう。そういう若い人たちの世界が安定してつながればいいけど、世の中を支える基本的な社会設計が何だかズタズタにされた(これからズタズタにされる)気がして、私は何だか落ち着かないです。

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