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諸国放浪の孔子さんたちは、葉公(しょうこう)という人に向き合っています。「公」がつくくらいだから、地方の権力者でしょう。あちらこちらの優秀な人材とやらを見てみよう、という欲望を持ち、あれこれ口頭試問したりするのです。
葉公さんが言います。「うちの国には、直躬という人物がいて、親が犯罪を犯したら、親であろうともそれを報告するくらいの正直な人間がおるのですよ。すごいでしょう。あなたにこの正直さ、わかりますか?」
孔子さんは、言います、わりとバッサリと。
「私の国では、そういうのは正直とは申しません。親は子のために、自らの罪を隠そうとするでしょうし、子どもは、親の犯罪をなんとか正しつつも、それを密告するようなことはしません。それは、明らかな不孝です。そんな親不孝ものを、勧めるのはどうかと思われますが、あなたの国では推奨されておられるのですね。驚きました。」
その話とどこかで通じるのが、次の段です。
卅日(みそか)、日光山(にっこうさん)の梺(ふもと)に泊る。
あるじの云ひけるやう、「我が名を佛五左衛門(ほとけござえもん)と云ふ。万(よろず)正直を旨(むね)とする故(ゆえ)に、人かくは申し侍るまゝ、一夜の草の枕も打解(うちとけ)て休み給へ」と云。
三月の三十日に、日光山のふもとの宿場に泊まりました。
そこの主が言うのです。「私の名前は、仏の五左衛門と人々から呼ばれております。すべてのことに正直に向き合っておりますので、このように言われておるのかなと自負しております。どうぞ、今夜は私どもの宿で、リラックスしてお休みくださいませ。」
時代から言いますと、こういうふうに自分から言う人間というのは、たいていがどうしようもないヤツだったり、大ウソつきだったりするのが人の常です。
私も、最初は少し警戒するところがあったと思います。本当にそうだろうか、まさか大泥棒ではないのか、とまではいかないかもしれないけど、とにかく観察をしてみました。
いや、そもそもこれは実在の人ではなくて、フィクションということなのか?
そういうホンワカした世界を演出してみたい気分があったのです。何しろ、日光東照宮にお参りするんですからね。有り難い気持ちでいっぱいだった。
いかなる仏の濁世塵土(じょくせじんど)に示現(じげん)して、かゝる桑門(そうもん)の乞食順礼(こつじきじゅんれい)ごときの人をたすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとゞめてみるに、
仏さまが、こんな(極楽浄土と比べたら)汚れた世の中に、どうして現れてくださり、私のような乞食のような順礼みたいな者をお助けくださるのか、この宿の主人の様子を見てみたのです。
少しだけ、疑う気持ちもあったといえばあったのでしょう。そして、どうだったのか?
唯(ただ)無智無分別(むちむふんべつ)にして正直偏固(しょうじきへんこ)の者なり。剛毅木訥(ごうきぼくとつ)の仁に近きたぐひ気禀(きひん)の清質(せいしつ)尤(もっとも)尊ぶべし。
この五左衛門さんは、 まったく世俗的な知恵も、思慮深さもなく、正直一点ばりの人物のようでした。孔子さんの『論語』には「剛毅朴訥は仁に近し」、無愛想ではあるけれど、黙々と物事に立ち向かっていく人というのは、仁(思いやりがある)ということばがありますけれど、あのイメージに近い気がしました。
こうして私どもに向かってくれるお人柄は、有り難いものであり、旅の貴重な出会いであったと思われます。
★ かくして芭蕉さんの日光直前の夜が更けていきました。
この人物というのは、芭蕉さんの創作なんでしょうか。いろんな人との出会いがあった、という物語に仕立てなくてはならないから、日光を前にして高ぶる気持ちを抑えてくれる好人物というのを設定したんでしょう。
私の勝手な想像です。そして、こうした設定で人々が面白がってくれると、芭蕉さんは思っておられたんでしょうね。どうしてそうなるのか? 私にはわからないけれど、旅の面白さとして作り上げたんでしょう。