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↑これはナデシコじゃなくて、アザミだそうです。
広末涼子ちゃんのCD、今日は聞きませんでした。たまたまつけたFMで、カルロス・クライバーさんの指揮のベートーベンの交響曲第五番「運命」をやっていて、つい引き込まれてしまいました。第七番、1989年のニューイヤーコンサートのライブ録音のJ・シュトラウスのウインナー・ワルツなど、ずっとカルロス・クライバーさん指揮のウイーン・フィルを聞いていました。
どこがステキとうまく表現はできないのですが、演奏を聞いているだけで、カルロス・クライバーさんが指揮している様子や、顔の表情までが思い出されてくるのです。自分もコンサート会場にいるような気がする演奏でした(生で見たことはないのだから、テレビで見た印象なんでしょうね)。
ライブ録音などは、もとから臨場感があるんです。だから、自分もどこかで〝ブラボー〟と叫ばなきゃいけないような気がして、だれか早く先に言って! と思っていたら、ちゃんと観客の中で叫んでいる人たちがいて、私はクルマの中でニンマリとしていたのです。久しぶりにクラッシックを聞けました。楽しいお帰りの時間を過ごすことができました。
それで、今夜の風呂で考えました。広末涼子ちゃんを聞いて涙を流す、というおかしな気分はもう今は起こらなくなりましたが、見たり聞いたりする中で、一生懸命な姿を発見したら、自分は昔から単純に心を打たれていたのだと思い出すことができました。
野球だって、ラグビーだって、桜田淳子ちゃんだって、岩崎宏美ちゃんだって(2人とも私より1つ年上です!)、最近なくなった安西マリアさんだって、みんなデビューしたばかりのころはステキでした。一生懸命でした。
弱小チームが強豪名門チームにぶちあたっていく時、ものすごい昔の話ですが、元巨人の江川くんが高校3年のナツに栃木大会をノーヒットノーランとか、ものすごい記録を打ち立てて甲子園に乗り込んできたことがありました。対戦チームはドキドキで彼と対戦したのです。同じ高校生なのに、もうその頃から格が違っていたのです。相手の柳川商業は捨て身の作戦で対戦して、ものすごい善戦をしたものでした。私はテレビの前で見守りながら、ジンワリと感動する子どもだったので、この時も柳川商業チームに感動しました。人によっては、「江川はすごいなあ。あんなに必死になって向かってくるチームを簡単にねじ倒すのだから」と、そちらにポイントがいく人もいるはずですが、私は典型的な判官(はんがん)びいきでした。
小さいときから他人の一生懸命が好きな子どもでしたが、今は「一生懸命(な姿)」に感動するオッサンになっています。自分が、そういう一生懸命な姿を見せられたら、自分に感動するかどうか……? (たぶん、自分で自分に感動するでしょう。でも、めったにそんなことはありません)
「昼間のパパは光ってるーぅ」という具合にいくかどうか……? たぶん、そういう時もたまにはあると思うんですけど、あまり自信はありません。
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女の子だけじゃなくて、懸命な男の子といえば、私の原体験は、井上靖の「しろばんば」になるのだと思います。中学の時の塾のテキストに、何度も取り上げられていて、いつかこの洪作少年の話を読んでみようと心に決めて、「しろばんば」「夏草冬濤(なつくさふゆなみ)」「北の海」の3作は全部読みました。弟は高校時代に暴れていたので(?)「夏草冬濤」が好きだと言い、母は大学生活のために一人暮らしをするようになる洪作に同情するのか「北の海」がいいと、家族の評価は分かれるのですが、私は原点である「しろばんば」の、祖父のお妾(めかけ)さんのおぬいばあさんと土蔵で暮らしていた小学校時代のお話が、なんとも言えず好きでした。だから、これは2回読みました。もう忘れているから、3回目にチャレンジしてもいい感じです。
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さらに、もう1つ、「おくのほそ道」の中のエピソードです。日光の観光を済ませて、東北への旅に向かう芭蕉さん一行が、本街道に出るためにしばらくは草っ原の道を歩き続けなければならなくなります。たまたま馬を見つけて、それに乗せてもらったことがありました。その時に馬の持ち主の子どもたちが芭蕉さんを載せた馬のあとをトコトコ付いてきたというのです。お供の曽良さんが「あなたのお名前は何というの?」とたずねると、女の子は「かさね」と答えました。少し変わった響きで、聞き取れなかったのか、聞き返したかもしれません。何度かやりとりがあって、「かさね」という名前らしいと知ることになり、栃木の高原で出会った少女を作品にしてしまいます。
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たまたま出会った女の子の名前は「かさね」というらしい。かわいらしい響きだけれど、ちょうど今ごろに咲く八重のなでしこのように、花がいくつも咲き重なったような感じの、かわいらしい名前なんですね。
……という感じで、曽良が作品を作ったということになっています。曽良さんの日記にはそんなことは書いてないので、芭蕉さんの創作で、作り話なのかもしれません。
芭蕉さんも私と同じように、小さきものの小さきこころに感動する気持ちを持っていた。これをいつか何かの形にしたいと思い続けていて、それを自分の作品の中で、日光から奥州街道へ抜ける草原の中での話として結晶化させた。それがすごいなあと思うんです。自分の思いを形にすることって、すごく大切だし、芭蕉さんも心の記念になったはずです。
また、どこかで一生懸命なものを探し、時々自分も「光ってるパパ」になろうと思いました。
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★ 土屋太鳳ちゃんと芳根京子さんとで「かさね」という映画が2018年の秋、公開されているそうです。漫画が原作ということですが、漫画家さんもどういうところからアイデアもらったんんでしょう。芭蕉さんかな? だったら、うれしいんだけど。(2018.9.24)
広末涼子ちゃんのCD、今日は聞きませんでした。たまたまつけたFMで、カルロス・クライバーさんの指揮のベートーベンの交響曲第五番「運命」をやっていて、つい引き込まれてしまいました。第七番、1989年のニューイヤーコンサートのライブ録音のJ・シュトラウスのウインナー・ワルツなど、ずっとカルロス・クライバーさん指揮のウイーン・フィルを聞いていました。
どこがステキとうまく表現はできないのですが、演奏を聞いているだけで、カルロス・クライバーさんが指揮している様子や、顔の表情までが思い出されてくるのです。自分もコンサート会場にいるような気がする演奏でした(生で見たことはないのだから、テレビで見た印象なんでしょうね)。
ライブ録音などは、もとから臨場感があるんです。だから、自分もどこかで〝ブラボー〟と叫ばなきゃいけないような気がして、だれか早く先に言って! と思っていたら、ちゃんと観客の中で叫んでいる人たちがいて、私はクルマの中でニンマリとしていたのです。久しぶりにクラッシックを聞けました。楽しいお帰りの時間を過ごすことができました。
それで、今夜の風呂で考えました。広末涼子ちゃんを聞いて涙を流す、というおかしな気分はもう今は起こらなくなりましたが、見たり聞いたりする中で、一生懸命な姿を発見したら、自分は昔から単純に心を打たれていたのだと思い出すことができました。
野球だって、ラグビーだって、桜田淳子ちゃんだって、岩崎宏美ちゃんだって(2人とも私より1つ年上です!)、最近なくなった安西マリアさんだって、みんなデビューしたばかりのころはステキでした。一生懸命でした。
弱小チームが強豪名門チームにぶちあたっていく時、ものすごい昔の話ですが、元巨人の江川くんが高校3年のナツに栃木大会をノーヒットノーランとか、ものすごい記録を打ち立てて甲子園に乗り込んできたことがありました。対戦チームはドキドキで彼と対戦したのです。同じ高校生なのに、もうその頃から格が違っていたのです。相手の柳川商業は捨て身の作戦で対戦して、ものすごい善戦をしたものでした。私はテレビの前で見守りながら、ジンワリと感動する子どもだったので、この時も柳川商業チームに感動しました。人によっては、「江川はすごいなあ。あんなに必死になって向かってくるチームを簡単にねじ倒すのだから」と、そちらにポイントがいく人もいるはずですが、私は典型的な判官(はんがん)びいきでした。
小さいときから他人の一生懸命が好きな子どもでしたが、今は「一生懸命(な姿)」に感動するオッサンになっています。自分が、そういう一生懸命な姿を見せられたら、自分に感動するかどうか……? (たぶん、自分で自分に感動するでしょう。でも、めったにそんなことはありません)
「昼間のパパは光ってるーぅ」という具合にいくかどうか……? たぶん、そういう時もたまにはあると思うんですけど、あまり自信はありません。
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女の子だけじゃなくて、懸命な男の子といえば、私の原体験は、井上靖の「しろばんば」になるのだと思います。中学の時の塾のテキストに、何度も取り上げられていて、いつかこの洪作少年の話を読んでみようと心に決めて、「しろばんば」「夏草冬濤(なつくさふゆなみ)」「北の海」の3作は全部読みました。弟は高校時代に暴れていたので(?)「夏草冬濤」が好きだと言い、母は大学生活のために一人暮らしをするようになる洪作に同情するのか「北の海」がいいと、家族の評価は分かれるのですが、私は原点である「しろばんば」の、祖父のお妾(めかけ)さんのおぬいばあさんと土蔵で暮らしていた小学校時代のお話が、なんとも言えず好きでした。だから、これは2回読みました。もう忘れているから、3回目にチャレンジしてもいい感じです。
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さらに、もう1つ、「おくのほそ道」の中のエピソードです。日光の観光を済ませて、東北への旅に向かう芭蕉さん一行が、本街道に出るためにしばらくは草っ原の道を歩き続けなければならなくなります。たまたま馬を見つけて、それに乗せてもらったことがありました。その時に馬の持ち主の子どもたちが芭蕉さんを載せた馬のあとをトコトコ付いてきたというのです。お供の曽良さんが「あなたのお名前は何というの?」とたずねると、女の子は「かさね」と答えました。少し変わった響きで、聞き取れなかったのか、聞き返したかもしれません。何度かやりとりがあって、「かさね」という名前らしいと知ることになり、栃木の高原で出会った少女を作品にしてしまいます。
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たまたま出会った女の子の名前は「かさね」というらしい。かわいらしい響きだけれど、ちょうど今ごろに咲く八重のなでしこのように、花がいくつも咲き重なったような感じの、かわいらしい名前なんですね。
……という感じで、曽良が作品を作ったということになっています。曽良さんの日記にはそんなことは書いてないので、芭蕉さんの創作で、作り話なのかもしれません。
芭蕉さんも私と同じように、小さきものの小さきこころに感動する気持ちを持っていた。これをいつか何かの形にしたいと思い続けていて、それを自分の作品の中で、日光から奥州街道へ抜ける草原の中での話として結晶化させた。それがすごいなあと思うんです。自分の思いを形にすることって、すごく大切だし、芭蕉さんも心の記念になったはずです。
また、どこかで一生懸命なものを探し、時々自分も「光ってるパパ」になろうと思いました。
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★ 土屋太鳳ちゃんと芳根京子さんとで「かさね」という映画が2018年の秋、公開されているそうです。漫画が原作ということですが、漫画家さんもどういうところからアイデアもらったんんでしょう。芭蕉さんかな? だったら、うれしいんだけど。(2018.9.24)