蕪村さんの句集(岩波文庫)を広げていました。近ごろちっとも本が読めなくて、諦め半分で見ていました。すぐに挫折してしまいますから。
それで、「柳にもやどり木は有(あり)柳下恵(りゅうか・けい)」
という作品を見つけました。
柳下恵(りゅうかけい)という人は、孔子さんの時代の魯の国の裁判官だった人です。孔子さんはわりとこの人を評価していて、『論語』の中にも三回くらい取り上げておられます。
蕪村さんは、その人をテーマに何を語っているんでしょう?
寒さに凍える被災者の女性がいたそうです。「どうか一晩泊めてくださいませんか」と女の人は柳下恵さんに依頼しました。
もちろん柳下恵さんは泊めてあげます。この時はすでに結婚されていたのかもしれませんし、していなくても下心なしでとめてげたでしょう。
「寒い、寒い」と、女の人が訴えるので、仕方なく柳下恵さんはその女性を抱きしめてあげた。もちろん変なことはせず、ただ温めてあげたということです。……「孔子家語」
男女の関係は全くなかった。柳下恵さんはそんなことなど一切興味なしで、みんなにもこんな風にして女性を助けたと語ったんでしょう。
あれこれ詮索したくなる人こそゲスな人間です。私もどちらかというとゲスな方かもしれないのです。
でも、わりと淡白に過ごすこともアリだと思えることもあるので、柳下恵さんのお話も確かに困っている人がいたら、スケベ根性も吹っ飛んで、その人が安楽になるようにしてあげるのかもしれないと思えます。わりとスンナリ理解してしまうところがある(女の人が泊まりに来るのは何かのサインだとは思えないのです。都合よく解釈する人もいるだろうけど)
ふと考えるのは、女の人はひょっとして柳下恵さんへの恋心持ってなかったのかと思ったりもします。だから、「寒い」を装って誘ったのではないか? でも、清廉潔白の柳下恵さんは全く乗らずに、ただ助けただけ。……まさかね。そう思うから私はゲスなのです。
さて、蕪村さんの作品は、どういうふうに解釈すればいいんだろう。
なよなよサラサラと何でも受け流す柳の木には、何もとどめるものがなくて、共生して住んでしまう宿り木みたいなのがない、というふうに思えるけれど、実は宿り木みたいなものがあるのかもしれない。
その柳という名前を持つ(そこを領地としていたという地名ではあるのだけれど)柳下恵さんだって、一晩だれかを泊めてあげるのもアリだし、だれがとがめだてなんかできるものですか。彼にはやましい気持なんかなくて、ただの親切心しかないんですから。
みたいな長ったらしい解釈でいいのかな。なんかくどいですね。
論語はまた今度取り上げます!