六月十七日の朝日新聞に、作家で現在はベルリン在住の多和田葉子さんの連載記事が出ていました。
ベルリンで、子どもたちに読み聞かせをしてあげたそうです。すると、子どもたちはだらしなかったり、トンチンカンな質問をしたり、読み聞かせは聞くのに、人の話を聞くというのが苦手だったりしたそうです。それは世界中の子どもたちの傾向なのだと思われます。
その最後のところを抜き書きします。
現代っ子は映像を伴う多量の情報を浴びながら成長していく。東洋的な顔を見た瞬間、活性化されるデータの総量は何ギガバイトくらいだろう(多和田さんを見たとたん、北朝鮮に行ったことがありますかと質問をした子がいたようです)。
わりと当たり前の出だしです。そのあとは?
無数のイメージをつなぎ合わせて、自分なりに世界を説明するストーリーを作ってはほぐし、作ってはほぐす「思考」という高度な技術を学ぶのは容易ではない。
トンチンカンなのは、頭の中でストーリーが作れていなくて、イメージの断片で動いてしまうからなんですね。私たちは、ちゃんとストーリー作れているんだろうか。
自分探しを避けて通れない年齢になれば悩みも深まり、国粋主義や外国人排斥思想やイスラム原理主義など分かりやすいシナリオに騙されてしまう人も多い。
私たちが生きていく時、ストーリーが必要です。例えば、私はオリンピックに出たいとか、ステキな彼女と結ばれるとか、大金持ちになるとか、いろんな物語をイメージするんでしょう。でも、その実現のためには、自分の体を上手に使って、実現させる努力が必要です。
そんなの当たり前ですね。わかっているけど、できないのがこれまた大人というところですか。
たとえ答えは出なくても、自分の頭で考えることを放棄しないで成長してほしいと、柔軟で活発な脳みそを持った小学生を見ていてつくづく思った。
私は? どれくらい自分の頭で考えて行動できているだろう。そう反省しながら、今日一日、暑いけど、頑張っていきます!