
ストップモーション短編アニメ「劇場版ごん GON, THE LITTLE FOX」がNHKでお正月の2日に放映されました。私は録画してもらって、3日にやっと見ることができました。30分の作品ですし、内容はだれもが知っているし、たいていの人たちが知っています。小学校の教科書に採用されている作品なのでした。
あれ、私は学校でちゃんと教わった記憶がないなあと考えてみたら、1956年から小学校の教科書での採用が始まり、1968年に2社、1971、1977、1980といろんな会社が採用して、今ではほとんどの教科書会社が定番教材として採用しているようで、国民的な作品になっています。いろんな定番教材があるけれど、小学校の国語では、これだったんですね。
だから、うちの子が勉強しているのは見たことがありましたけど、自分は学校で習ってなかったんです。1932年には発表されてたわけですから、私が読むことも可能だったはずですけど、私はちゃんと出会っていませんでした。
新見南吉さんという方は、1913年に生まれ、1943年に29歳で結核で亡くなっています。20世紀の初めは、そういう人の死があちらこちらにあった時代でした。宮沢賢治さんの妹さんも、賢治さんも(1933)、先輩の啄木さんも(1912)、啄木さんの奥さんの節子さんも、みんなみんな結核で亡くなっています。この前、マルセル・プルーストさんのお母さんも結核だったという話を聞きましたけど、そこからプルーストさんは『失われし時を求めて』という大作を書くことになったそうで、みんな身近な人の死を痛いほど見せつけられながら、ひょっとして自分もそうなるかもしれない不安をいつも抱えながら、いかにして生きるのか、いかにして死んでしまうのかというテーマを感じていたようです。

「ごんぎつね」という物語の最後には、ゴンというキツネが殺されてしまいます。あまり救いのない物語ではあります。けれども、現在の私たちにも通じるものがあるし、生きていくことはそういうことなのだという真実がそこにあるとアニメを見ていて思いました。普段から感じていることなのだけれど、なかなかそれをリアルに感じる時がなくて、大抵は大事なことを忘れて、ボンヤリ生きるようにしてたりします。
主人公の兵十は唯一の身寄りの母を亡くし、天涯孤独になります。まだまだ半人前で、生きていくのがやっとという若者です。母を亡くしてからというもの、自分の家の中に食べ物が次から次と現れる。不思議に思った兵十は仲間に相談すると、「それは神様のおかげであって、ちゃんと神様がお前のことをみてくれているのだ」ということでした。
そんな、神様が毎日この世でひとりの人間だけに優しくしてくれるわけはないのだから、現実には誰かがいるはずなのです。ある時、近所のいたずらギツネを自宅付近で見かけた兵十はキツネを撃ち、キツネは死んでしまう。その死の後、兵十は自分のところに現れていた神様はキツネであったというのを知ります。もちろん、それは遅いし、気づいた後には大切なものも失っていて、取り返しがつかないのです。

新見南吉さんは、十代後半で「ごんぎつね」を発表していました。すべてが彼のオリジナルだったのか、近所の方から聞いた話をまとめたものか、それはわかりません。それから、東京の学校で学んだり、教員をしたり、自分の道を歩いていた。もちろん、若い時から創作活動は好きだったので、教員をしつつも続けていた。また、交際していた女性とやがては結婚をという矢先に、27歳の時に彼女は突然亡くなってしまう。それからは立ち直れない日々があり、それから2年は創作に打ち込んだりもしたようですが、29歳で亡くなってしまいます。
「ごんぎつね」と、南吉さんの生涯とは直接は関係がありません。けれども、すでに何らかのはかなさみたいなのは常に持っていて、それを十代の南吉さんは取り出すことに成功した。その後、いろんな人のアレンジとか、アニメ化、映画化、今回のような人形アニメ化と、変化をし続けているけれど、十代に見つけた真実は奥が深くて、現代の私たちも、未来の人々も、みんなが持ち続けていかなくてはならない原罪みたいなものがあるような気がしました。

アニメーションは、木で作られた人形がクローズアップされます。物語の中に会話はありますが、人形がしゃべるみたいな動きはありません。叫んだりもしません。ボンヤリと対象を見つめ、心の中でセリフを言い、遠くからの映像の中で兵十と先輩が語りあったり、セリフはちゃんとありますが、映像の中にセリフが浮かんでいます。それらを見るものは受け取り、自分の知っている物語を、表情があまり変わらない人形さんの中に見つけていきます。
絵作りにかける時間とそこに込める意味みたいなのも、一つ一つ伝わるようになっている。大切な彼岸花も、丁寧に作られていて、それぞれに私たちは意味を感じ取りながら見られるようになっていました。

監督さんは、「ノーマン・ザ・スノーマン」シリーズなどで高い評価を得ている人形アニメーション作家の八代健志さんという方だそうで、その「スノーマン」も同時にやってたみたいだから、今度機会があれば見せてもらおうと思います。
さて、ゴンを射殺してしまって表情を失った兵十は、それからどうなったのか、それはわかりません。けれども、それでも私たちは自分の人生を生きていかなくてはならないし、たくさんの誤りを犯し、取り返しのつかないことも重ねていく。他者の気持ちもくめないし、自分ひとりの理屈で動いてしまう。救いはないのです。でも、そうやって、それを乗り越えて、少しは反省して、少しでもまわりの人の何かになるように、自分が生かされている限りやっていかなくてはならない、そういうことを教えてくれます。
いや、そんな教訓臭いことではないですね。私たちはミスばかり犯してしまう、それでも生きていく(同じことばかり書いてる気がしてきました)、そういうことなんだと思います。