先日、唐招提寺に行きましたけど、その前に実は垂仁天皇陵に行ってみよう、というとんでもないことを考えたんです。
直前に手にした三浦祐之さんの『古事記を旅する』(2011 文春文庫)のせいです。素直に西ノ京のお寺を巡ろうと思ってましたけど、ついスケベ心が出てしまいました。こんなふうに書いてあるのを読んでしまった!
イクメイリビコイサチ(垂仁天皇)が葬られているという前方後円墳「宝来山古墳」である。水をたたえた周濠の中の、前方部の角あたりに小さな陪塚(ばいちょう)が浮かんでいるのが特徴だ。
確かに、近鉄の西大寺から南に橿原神宮行きに乗ったら、すぐに右手に古墳があったような、なかったような、どちらかというと、左側の唐招提寺や薬師寺に心奪われてるから、右側に注目したことはなかったけれど、あったような気もします。だったら、この際だから行ってみようと思ったんです。唐招提寺の前にグルッと古墳のまわりを歩いてみようと思いました。遊歩道くらい整備されてるだろうという考えのもとです。
でも、それは少し甘かったようでした。
イクメイリビコは、古事記によれば、第十一代の天皇として師木(しき)の玉垣の宮(日本書紀では纏向・まきむくの珠城・たまきの宮)で天下を支配したという。ちなみに、六九四年に藤原京に遷都する以前は、代々の大君たちの宮殿は代替わりごとに移動することになっていた。
垂仁天皇さまは、纏向(まきむく)だから、今の三輪大社のあたり、桜井市の山の辺の道近辺に宮殿を建てておられたということでしょうか。そして、お墓は宮殿からかなり離れたところにお造りになったんですね。そういうふうになってたんですね。
ぐるっと一周できるんだろうか。
唐招提寺の最寄りの駅の西ノ京をスルーして、尼ケ辻で降りました。途中でチラッと古墳は見えたし、一周したら、唐招提寺につながってるんでしよう。
そう確信していました。
先ほどの陪塚(ばいちょう)は、タヂマモリという人のお墓だそうで、この人は、天皇のために常世の国(あの世? 理想郷?)に永遠の命を授かる木の実があるそうで、それを取りに行ったそうです。そして、いつものパターン通り、折角木の実を持ち帰ったら、天皇は亡くなっておられて、木の実を持ち帰ったタヂマモリは大泣きして、そのまま死んでしまったというお話なんだそうです。
後円部分から望むことができたんですけど、陪塚があるのは前方部分なんですね。東側から回れば見られたのかもしれませんが、調子に乗って、いつものわからないところへ歩いてしまえで、西側を回ることにしました。
そして、道は途絶え、何度も後戻りして、とうとう前方の南側には行けずじまいで、西側を道に迷っただけで終わってしまいます。
ああ、何たることか。公園にはなっていなかったのか。ザンネン! そして、いつもの闇雲歩きのどん底に陥ったのですね。
もうこうなりゃ、唐招提寺にたどり着いて、気分を変えるしかありませんでした。
何度か、後戻りして、たどり着きましたけど、もうすでに疲れてしまってたんですね。なんということだ!
ちゃんと下調べしていかなきゃいけないのに、ついその場の気分でいってしまった! 菅原道真さんのご実家あたりにも行きたかったんです。もう、ヒッチャカメッチャカでした。