いけないことですが、
フトンの中で打ち込んでいます。
日曜の21時14分、まだ寝るには早いです。
でも、夕方、家に帰ってきたとき、熱があると思ったら、ドッと疲れてしまって、ブログを書く気力も、体力もなくなって、お風呂から上がり、ゴハンを食べたら、寝ることにして、しばらく寝ていました。
それで、大河ドラマの音で目が覚めて、すぐには寝付かれず、仕方なくフトンのところにパソコンを持ってきました。
カゼだと思いたいけれど、もしダメだったら、明日病院に行きます。インフルは本当にしんどいし、嫌なのだけれど、なるんだったら仕方がない。
とにかく、今から寝る努力をして、明日、自分が元気になるのか、試してみます。
みなさま、お体を大切に、どうぞご自愛くださいませ。
★ 今ツイッターにひとこと書いて、改めて思ったので、もう少し書きます。
土日の大阪は、近鉄で行きました。往きはなんと特急に乗りました。そこでずっと本を読み続け、名張、赤目、室生寺、長谷寺と抜けるあたり、たぶん榛原くらいで司馬遼太郎さんの「最後の将軍」を読み切りました。
大正何年かまで生きておられた徳川慶喜さん。亡くなってからたくさんの人々が葬儀を見守ったということでした。
最後の将軍の死を、江戸情緒の最後の締めくくりとして、江戸っ子の人たちは、どうしても見送らずにはいられなかったのだというふうに私は解釈しました。
その人々の気持ちが尊いなあと思えたのです。そうした人々の気持ちに触れた気がして、電車の中だけど、シンミリと感動しました。
人々は、野次馬的な気分もあったのかもしれないけれど、厳かな気分もあったんだろうと推測しました。
昭和天皇が亡くなられたとき、いや、その前から、1988年・昭和63年はずっとモヤモヤした気分があって、亡くなられてから、ちようどその時は、私はインフルエンザで倒れていたけれど、そのあとに続く大喪の礼(これは雨で寒そうでしたっけ)でも、やはり私は、昭和天皇への思い入れというのか、それほどにはなかったけれど、時代の節目は感じましたっけ。あの何とも言えない節目感があったのです。
あれに似た感情を、当時の人たちも感じたんだろう。私も、そうしたささやかな市民の1人として、慶喜さんの死を本の中で迎えられて、とても尊い気分が込み上げてきた。
まあ、錯覚かもしれない。ただ気分に酔ってただけかもしれない。
そうかもしれないけれど、とりあえず、徳川慶喜さんという人に、興味が湧き、彼の生涯を改めて見直していきたいなと思っています。せごどんはまあいいです。
さて、本を読み終えて、本のあちらこちらを見たり、開いたりしているうちに、この物語は、司馬さんの出世作「竜馬がゆく」を書き終えた後にすぐに着手され、初めは一回で終えるつもりが、ついつい長くなって、何百枚かの原稿になったということでした。
単行本は、1967年に出ています。そうか、翌年は明治維新100年ということでいろんな政府関係のイベントが開かれた(少なくとも記念切手は出ています)と思われますが、司馬さんはその前年、大政奉還100年を意識されて、しっかりと慶喜さんの人生を振り返っていたのだと、今更ながらのことに気づきました。
大政奉還からの一年の将軍在職期間、慶喜さんは奮闘し、時にはドンキホーテ的なこともしてしまったけれど、それは幕府を円満な形で終わらせて、新しい日本とやらを受け入れるため、懸命に努力した人だったのだと思います。
慶喜さんの大政奉還から151年め、政府は明治維新150年と、来年のご退位と、それに続く皇太子さんの即位、再来年のオリンピックと、歴史の節目をあれこれしようと、自分たちがその節目で活躍しているのだという自負の下で、いろいろ企画しているのですね。
でも、人々は、今の天皇さんには親しみがあるだろうけど、政府主催のイベントでどれだけ踊れるんだろう、ただの強制参加ではあまりウキウキはしていられない気がします。自発的な人の気持ちが生かされていませんからね。
風邪ひきのねごとです。ちゃんと寝られるよう努力します。明日、復活できるといいんだけど……。