今夜も、布団の中から打ち込みます。寒気がするので、風邪かもしれない。夜に計ったら熱が38度くらいありました。インフルなのか、そうでないのか、病院にも行けずに、ヨタヨタして家に帰ってきました。
でも、こんなふうに書いているから、まだ元気なんでしょう。ぜいたく病だ。インフルなら、こんなことをしている余裕はないから、きっと風邪なんです。
さて、お風呂に入りながら、父と母のことを考えていました。二人はずっと仲良しで、父は最後まで母の姿を探していました。ムスコたちもそこにはいたけれど、あまり役に立たないし、最後にことばをかけるのは母だと思ったんでしょう。父は母を見つけて一言話したらこの世からいなくなりました。とても峻厳な時間がありました。
私は、その場に居合わせたので、父にもいい息子ではないし、期待は裏切るばかりだし、もの足りないものがあったろうし、役に立てなかったと冷静に思います。
だから、あの時のことを思い返すと、少しでもお父さんに褒めてもらえるようなことがしたいし、お父さんを安心させるためにも母のご機嫌伺いにいかなくてはいけませんし、家族みんながなかよく集える空間を作りたいとは思います。でも、全くちゃんとできていない。
あの姿を思い出すと、それから亡くなってしまった父の姿は、本当に魂はどこかへ行ってしまって、ただの抜け殻になってしまった感じでした。
私たちは、実家の狭いスペースに父を寝かせてあげて、二晩くらい過ごしたでしょうか。確かにそこに父は寝ているのに、どういうわけか魂がなくて、ウンともスンとも言ってくれなかった。
今だったら、盛んに母から写真に向かってあれこれと話しかけているので、まだ父がそこにいて、ウンとかスンとか言っている気がするのに、あの時だけは、とても静かで動いてくれませんでした。
お父さん、私はもっとお父さんの悩んでいることばとか、怒りとか、辛さとか、もっと教えてもらいたかったのに、私がいつも上の空というこもあっただろうけど、いつも母を介してしかお父さんのことがわからなかった。
いつごろから、直々にお父さんからことばをもらえない子どもになったんだろう。確か、高校何年かまではお父さんにぶんなぐられていました。でも、お父さんの手をパシッとはじいて抵抗して、あれからお父さんは私なんかぶんなぐらなくなりました。
ああ、もうこんなヤツなんて、なぐっても仕方がないんだと思ったんでしょう。それから、生意気な私は自分のこともちゃんとできない、頭の上のハエも追えないできそこないなのに、もうお父さんの叱咤激励はもらえなくなったんでしたね。自業自得だったんです。
もっとお父さんのされるがままになっていればよかったのに、生意気に抵抗したんだ。そして、何十年かが過ぎて、お父さんはいろんな気持ちを抱えたまま、違う世界に行ってしまいましたね。
その時のこととか、知りたくてお父さんの日記を一部持ってきていますが、それを読むことさえしていません。何という親不孝。なんというわからずやだ。
もう本読んで寝ます。明日は元気になるだろうか。ヒエピタがとても気持ちいいです。何だか眠れそうな感じです。
★ 病気2日目の記事でした。ここで病院にサッと行けてたら、よかったのに、行けない事情があったのです。
それで、結局、今日は病気5日目ですけど、やっとインフルBというのが判明しました。まわりの人に迷惑をかけてしまった。とんでもないオッサンだ。何をいまさらインフルBなんだよ! 遅いぜ! 早く病院に行け! いや、行けない事情があったのです。(2018.1.18)