甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

なげのはなのかげかは 菅笠26

2024年04月14日 15時30分32秒 | 宣長さんの旅

 途切れとぎれに『菅笠日記』を読んでもう何年になるでしょう。早く宣長さんを松坂に帰してあげなきゃいけないのに、なかなか帰り着けないですね。まだ宣長さんは吉野を歩いているみたいです。いくら何でも、何年もかけたら吉野から帰って来れるのになあ。まあ、気長に旅していきますね。

 このやしろ(社)のとなりに。袖振山(そでふるやま)とて。こだかき所に。ちひさき森の有りしも。同じをりにやけたりとぞ。御影(みかげ)山といふも。このつゞきにて。木(こ)しげきもりなり。

 このお社の隣に袖振山という小高いところがあって、小さな森のようになっています。けれども、ここも一度火事になったということらしく、焼けてしまったこともあったようです。そんな、いろんな歴史のある土地に私どもは来ております。御影山というところも、続いていて木もたくさん茂っているようです。
 
 竹林院(ちくりんいん)。堂のまへに。めづらしき竹あり。一ッふしごとに。四方(よも)に枝さし出たり。うしろの方に。おもしろき作り庭あり。そこよりすこし高き所へあがりて。よもの山々見わたしたるけしきよ。

 吉野山の尾根道に連なる史跡・お堂などを私(宣長さん)は歩いています。竹林院というところの前には不思議な竹が生えていて、節ごとに枝を四方に伸ばしている、まるで木のような竹がありました。その後ろには立派なしつらえの庭があり、そこを高いところから見わたすと、四方の山々を見下ろすことができて、その素晴らしさと言ったら、なかなかたとえようもないのでした。



 まづ北の方にざわう堂(蔵王堂)。まち屋の末につゞきて。物より高く目にかゝれり。なほ遠くは。多武の山高とり山。それにつゞきて。うしとらのかたに。龍門のだけなど見ゆ。

 北の方角に蔵王堂が見えました。町家のつながりの向こうにあって、他の家々よりも高くそびえています。さらにそのずっと向こうには、多武峰、高取山、などが連なっています。北東の方には龍門岳が見えています。

 東と西とは。谷のあなたに。まぢかき山々あひつゞきて。かの子守の御社の山は。南に高く見あげられ。いぬゐのかたに。葛城(かつらぎ)やまは。いといとはるに。霞のまより見えたるなど。すべてえもいはず。おもしろき所のさまなり。

 東と西は吉野川が大峰山系の東から和歌山の方に向かうように流れているので、深い谷が連なっています。子守のお社の山は、南に見上げられました。そんな吉野のど真ん中に私は立っています。西北西の葛城山や、その手前の金剛山など春霞の中に見えているなど、すべてが何とも言えない、素晴らしい景色でした。歌を詠んでみます。

  花とのみおもひ入りぬるよしの山よものながめもたぐひやはある。

 サクラの花の名所であると承知していた吉野のお山ですが、その四方八方の眺めもなかなかステキなもので、これに比べられるものがあるのかどうか、随一であるとしか言いようがありません。

 時うつるまでぞ見をる。ゆくさきなほ見どころはおほきに。日くれぬべしとおどろかせど。耳にもきゝいれず。くれなばなげの【古今春「いざけふは(春の)山べにまじりなん暮れなばなげの花の陰かは】などうちず(誦)して。

 見飽きるまで見ておりますが、見飽きるどころではありません。これからまだ見どころも多く、このままでは日も暮れてしまうので、旅路を急がねばと思ったりもしてみるのですが、「暮れなばなげの……」ということを思い出しました。

 古今集の素性法師の歌に「さあ、今日は春の山の中へ入ってみよう。夕暮れになったら、「なげのはな」(何もないような花)の陰の入っていくのだから、ということなどを念じながら歩いていくのでした。

 こんな、「なげのはな」があるなんて、想像したこともありませんでした。今の世の中は、日が暮れて花が見えないのなら、照明で浮かび上がらせてしまえ式のライトアップも流行りだし、逆に夜桜が好きという人もいたりしますが、見えなくても、花の下にいる自分たちを感じましょう、ということはないですね。答えがなくっちゃ、ちゃんと見えなきゃ、桜じゃない! なんて思ってるでしょうね。



  あかなくに一よはねなんみよしのの竹のはやしの花のこの本。

 いつまでも飽きの来ない吉野の里に一夜寝ることにしましょう、竹の林の花のあるところで。

 かくはいへど。ゆくさきの所々も。さすがにゆかしければ。そこにたてる桜の枝に。このうたはむすびおきて。たちぬ。

 と歌を詠みましたが、これから先のところにも見たいところがありますし、すぐそこにある桜の枝に歌を残して、立ち去ろうと思いました。

 さてゆく道のほとりに。何するにかあらん。桜のやどり木といふ物を。多くほしたるを見て。

 さて、道のそばに何にするのか、桜の宿り木というものを多く干してあるのを見まして、

  うらやまし我もこひしき花の枝をいかにちぎりてやどりそめけむ。

 うらやましいのです。私の恋しい吉野の桜の花の枝を、どうして手折り、とどめてあるのでしょう。

 家々にあった桜の宿り木とはどんなものだったのか、花の枝を軒先で干してあったなんて、何に使うのか、売り物なのか、食べ物なのか、少し気になります。調べてみないとわからないですね。



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