道を歩いていたら、おばあさんと柴犬の散歩に出会いました。ワンコさんは、やたらオシッコをするみたいで、あちらこちらでオシッコしています。もう田んぼのへりはオシッコだらけです。
でも、私は犬ではないので、まるでニオイを感じず、2人の掛け合いというのか、やりとりというのか、いつものことなんでしょうけど、ワンコさんの気の済むようにやらせているおばあさんがエライなあと感心もしていました。
たまたま名松線が伊勢奥津からやってきて、これから松阪の方へ出て行くので、踏み切りの遮断機が降りて、散歩はストップさせられてしまいました。でも、おばあさんと柴犬は、別にあわてるでもなく、その辺の草むらで何かしています。これは、2人にしかわからない、時間のつぶし方があるようでした。
余裕のない旅人の私は、それ写真撮らなきゃ! と右往左往するのに、2人を結ぶひもは長くなったり、ゆるんだり締まったり、変幻自在に過ごしています。そういう関係って、なかなかいいもんだなとチラッと思いました。
町中へ入っていくと、どういうわけかおばあさんは、ご褒美を一粒二粒とあげ始めて、そうすると今まで道路観察に熱心だったワンコさんは、後ろ足だけで立ち上がり、おばあさんに「ありがとうね。もっとちようだい」と、小さな男の子みたいに、お願いしている感じで、あらら、まるで飼い主と話のできるワンコさんみたいだと、お互いの関係がうらやましくなりました。
私は、電車に乗って帰らなくてはいけないので、停車している間に駅に急がなくてはならなくて、もうおばあさんと柴犬を観察するのはあきらめて、急ぎ足で駅へ。
伊勢八太(いせはた)という駅を抜けて、権現前に向かう途中に、こんもりとした森を抜けるところがあって、そこは鉄道オタクの間では、少し有名な場所になっているのを最近知りました。それが見たくて名松線に乗ることにしたんでした。
鉄道が好きな人は、運転席の横に陣取り、前面展望を動画に撮ったり、その画像を動画サイトに流したり、またはすれ違う電車を味わったり、特別な風景を見ることで満足したり、それはもういろいろな楽しみ方があるようです。
私は、前面展望にそれほどのこだわりはなくて、おもしろかったり、めったにないものがあるのなら、見たいというスタンスで、そんなに無理はしていないつもりです。でも、第三者的に見たら、私もそれなりの変人という気もしたりします。まあ、変人のうちでしょうね。
というわけで、伊勢八太に停車してから、ドキドキしながら森を通り過ぎるのを待っていたんでした。そういえば、ここで中年夫婦が仲良さそうに下りて行きました。ここに住んでおられる鉄道オタク夫婦なのか、優雅な夕方の過ごし方だなと少し感心したんでした。どんなとこに住んでいるんだろう。今までどこへ行っていたんだろう。これから何して過ごすんだろう。ポツンとした駅なので、そこで降りた2人が少し気になりました。「何やらゆかし」という感じでした。
しばらくしたら、森を通過し、私はあわてて3枚写真を撮りましたが、1枚だけレールが3本に見えるのが撮れたので、たぶん1番右のレールは光か何かなんだろうけど、私としてはおもしろかったんです。
家に帰れば、オムライスで、焼酎をオンザロックで3杯飲んで、少しいい気分になったら、もう夜で、ブログしたら寝るという感じです。ああ、今日もたいしたことはしないけど、それなりに仕事は進んで、少しずつ前に向かっていきます。
ということは、少しずつ引退が近づくというわけで、私は今から、フリーになったときのことを考えなきゃと思っています。勉強はあまりしていないから、そちらでは役に立たないし、本当に私という人は、つぶしのきかない、役に立たない人間です。
昔は、まわりのみんなをしあわせにさせられるという、変な自信がありましたが、今はそれはなくなって、ブスッとした顔で毎日を過ごしているような気がします。
そんなことをしていても、しあわせはやってこないというのを知っているのに、ついうっかりしていると、ぼんやり魂の抜けたような顔になっている時があるかも……。
あわてて写真を撮るときだけ、ギラギラしているかもしれないけど、そんなのは一瞬です。ダメですね。もっとホンワカとして、みんなをしあわせにしたいのに、できてないです。
また、明日から、生き方を変えて行けたらいいんですけど……。
1 春の宵 私は私の中から生じている
2 春の夜 物置と化すレコード盤
3 春の暮れ 犬と対話の老婆かな
でも、私は犬ではないので、まるでニオイを感じず、2人の掛け合いというのか、やりとりというのか、いつものことなんでしょうけど、ワンコさんの気の済むようにやらせているおばあさんがエライなあと感心もしていました。
たまたま名松線が伊勢奥津からやってきて、これから松阪の方へ出て行くので、踏み切りの遮断機が降りて、散歩はストップさせられてしまいました。でも、おばあさんと柴犬は、別にあわてるでもなく、その辺の草むらで何かしています。これは、2人にしかわからない、時間のつぶし方があるようでした。
余裕のない旅人の私は、それ写真撮らなきゃ! と右往左往するのに、2人を結ぶひもは長くなったり、ゆるんだり締まったり、変幻自在に過ごしています。そういう関係って、なかなかいいもんだなとチラッと思いました。
町中へ入っていくと、どういうわけかおばあさんは、ご褒美を一粒二粒とあげ始めて、そうすると今まで道路観察に熱心だったワンコさんは、後ろ足だけで立ち上がり、おばあさんに「ありがとうね。もっとちようだい」と、小さな男の子みたいに、お願いしている感じで、あらら、まるで飼い主と話のできるワンコさんみたいだと、お互いの関係がうらやましくなりました。
私は、電車に乗って帰らなくてはいけないので、停車している間に駅に急がなくてはならなくて、もうおばあさんと柴犬を観察するのはあきらめて、急ぎ足で駅へ。
伊勢八太(いせはた)という駅を抜けて、権現前に向かう途中に、こんもりとした森を抜けるところがあって、そこは鉄道オタクの間では、少し有名な場所になっているのを最近知りました。それが見たくて名松線に乗ることにしたんでした。
鉄道が好きな人は、運転席の横に陣取り、前面展望を動画に撮ったり、その画像を動画サイトに流したり、またはすれ違う電車を味わったり、特別な風景を見ることで満足したり、それはもういろいろな楽しみ方があるようです。
私は、前面展望にそれほどのこだわりはなくて、おもしろかったり、めったにないものがあるのなら、見たいというスタンスで、そんなに無理はしていないつもりです。でも、第三者的に見たら、私もそれなりの変人という気もしたりします。まあ、変人のうちでしょうね。
というわけで、伊勢八太に停車してから、ドキドキしながら森を通り過ぎるのを待っていたんでした。そういえば、ここで中年夫婦が仲良さそうに下りて行きました。ここに住んでおられる鉄道オタク夫婦なのか、優雅な夕方の過ごし方だなと少し感心したんでした。どんなとこに住んでいるんだろう。今までどこへ行っていたんだろう。これから何して過ごすんだろう。ポツンとした駅なので、そこで降りた2人が少し気になりました。「何やらゆかし」という感じでした。
しばらくしたら、森を通過し、私はあわてて3枚写真を撮りましたが、1枚だけレールが3本に見えるのが撮れたので、たぶん1番右のレールは光か何かなんだろうけど、私としてはおもしろかったんです。
家に帰れば、オムライスで、焼酎をオンザロックで3杯飲んで、少しいい気分になったら、もう夜で、ブログしたら寝るという感じです。ああ、今日もたいしたことはしないけど、それなりに仕事は進んで、少しずつ前に向かっていきます。
ということは、少しずつ引退が近づくというわけで、私は今から、フリーになったときのことを考えなきゃと思っています。勉強はあまりしていないから、そちらでは役に立たないし、本当に私という人は、つぶしのきかない、役に立たない人間です。
昔は、まわりのみんなをしあわせにさせられるという、変な自信がありましたが、今はそれはなくなって、ブスッとした顔で毎日を過ごしているような気がします。
そんなことをしていても、しあわせはやってこないというのを知っているのに、ついうっかりしていると、ぼんやり魂の抜けたような顔になっている時があるかも……。
あわてて写真を撮るときだけ、ギラギラしているかもしれないけど、そんなのは一瞬です。ダメですね。もっとホンワカとして、みんなをしあわせにしたいのに、できてないです。
また、明日から、生き方を変えて行けたらいいんですけど……。
1 春の宵 私は私の中から生じている
2 春の夜 物置と化すレコード盤
3 春の暮れ 犬と対話の老婆かな