テレビの「こころ旅」という番組で島根県を火野正平さんが旅をしています。
昨日、おとといは島根県の真ん中あたりの三瓶山という火山の見える所を旅しているみたいでした。あんな山の中をよくぞ正平さんは自転車で走れたものだと感心してみてましたけど、今回は少しスタッフのクルマを利用したような気もします。
まあ、いいです。私だったら、絶対に自転車で旅できないところを、スタッフと手紙を寄せてくれた人と、実際に出会った人と、みんなの力で番組を作っているんだから、私にはできない贅沢な旅を見せてもらっています。
あんなところを自転車で滑り降りたら、どんなに楽しいかと思うところがいくつもあるし、あんな坂道をどうして自転車を漕がなきゃいけないのと思うところもあるし、毎日見させてもらっています。
それで、三瓶山の火山の美しさを見直しました。両端から押し上げられた褶曲した山ではなくて、マグマが地下から作り上げていった火山というのは、死火山でも、休火山でも、とにかく独特の形をしています。
島根には現在は火山はないけど、三瓶山は火山でした。
三重県も、今は火山はないけど、この大洞山はいかにも火山みたいな形です。奈良との県境には室生火山帯があったらしく、いくつかそれらしい火山のあとみたいなのがあります。
あまりにそこにあり続けた山なので、なかなか火山という感覚はありませんが、遠い昔はそうですし、私たちのスケールでは考えられないのが自然でした。もう人間たちをはるかに越えている。
だから、私たちは自然に対する畏敬の念を起こすことができます。あまりに古く、あまりに人間を超越しているのです。人間たちがどんなことをしようとも、たとえ地上に人間たちがいなくなっても、自然はそこにあるでしょう。緑があるかどうかは分からないけど、山と川と海は50億年はあり続けるのです。
それに比べて、人間たちの歴史なんて、コロコロと変わっていきます。つい何十年か前まではものすごく栄えたところ、映画館や銀行、旅館、薬局、お医者さん、その他の人間がいたら必ず生まれてくるものの全てが、先ほどの大洞山のふもとの伊勢奥津という、名松線という鉄道の終着駅にあって、ものすごく栄えたことがあったのです。
ほんの何十年か前です。でも、今この町には、移住してくる人もいるみたいだけど、そんなに安定した動きにはならなくて、やはりどんどん人口は減っているみたい。かくして、山間の町は寂れてしまっている。
さっきのお店に掲げられている伝票、貴重な記録はたくさんあるだろうけど、それらも埋もれていき、廃棄される運命にあります。光を当てなきゃ、そりゃ崩れていきますね。それが自然というものでした。
秋は、急速にやって来ました。ついこの間、暑くてたまらないとか言ってたのに、毎朝寒くなって、フトンの中の心地よさと言ったら! こんなに温度差がいっぺんに来るなんて、どうなってるんだろう。
コロナにおびえている間に、普通の感覚も失ってしまったというのか、アンテナが鈍って、何ごとにも反応しないのがいいみたいな、間違った感覚が大きくなっています。
私の感覚、少しは昔に戻るでしょうか。2年余り失ったものですから、また長い時間をかけて昔を取り戻すしかないですね。若い人はどうしたらいいのか、何が正解なのか、わからないままとにかく小さくなってるんだろうな。
何とかしてあげたいけど、私には何の指針もなくて、ただ、自分を守りなさいと言うくらいかな。